砂漠の奥地に「誕生」した新業態
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【9月7日 People’s Daily】「子供の頃の夢は、マルキトを離れ、タクラマカン砂漠から逃げることだった」、レイハン・アイハンさんはこう語った。
2001年生まれの彼女は、新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)カシュガル地区(Kashgar)のマルキト県(Makit)で育った。記憶の中の春は、緑がほとんどなく、辺り一面が黄砂に覆われ、屋内でも屋外でも砂埃が舞い、口の中には常に砂の味がしたという。
マルキト県は、三方をタクラマカン砂漠に囲まれ、県の面積の約90%を砂漠が占める。
大学卒業後、浙江省(Zhejiang)寧波市(Ningbo)で働いていたレイハン・アイハンは、24年2月に帰郷した。故郷の変化に驚いた彼女はここで働くことを決意した。
「故郷に戻って分かったことは、私たちはタクラマカン砂漠を治め、開発し、活用できるということだった」、彼女は帰郷の動機をこう語った。
県城からタクラマカン砂漠へ向かう道の両側には、数十キロにわたって緑の木々が続いている。これはマルキト県の防砂林で、全長3046キロに及ぶ「タクラマカン緑化防砂帯プロジェクト」の一部だ。
12年以降、マルキト県は全県挙げて砂漠緑化に取り組み、延べ300万人以上が参加し、46万ムー(約3万667ヘクタール)の防砂林を含む117.6万ムー(約7万8400ヘクタール)の防砂事業を完成させた。新疆ポプラ、ブンカンカ、胡楊ポプラ、グミ、タマリスク、サクサウルなど2億6000万本の樹木を植えた。
「タクラマカン砂漠は、もはや子供の頃の姿じゃない」、レイハン・アイハンさんは感慨深げに語る。
変化したのは環境だけではない。発展の考え方も変わった。
マルキト県の文化スポーツ放送観光局の汪江鵬(Wang Jiangpeng)副局長の話によると、多くの観光客が、砂漠を体感し、ディープな砂漠ツアーを楽しみに訪れているという。以前は観光施設がほとんどなく、観光客は砂漠の周辺を散策して写真を数枚撮るだけで帰っていた。その後、多方面からの支援を受け、インフラ整備や観光施設の充実が進み、砂漠観光の知名度が向上し、受け入れ能力も高まったという。
汪氏は「昨年は40万人の観光客を受け入れ、今年は50万人を見込んでいる。砂漠観光は県の経済成長を牽引する重要産業に成長しつつある」と強調する。
このニュースを聞いたレイハン・アイハンさんは心が動いた。地元に残り、観光開発会社に就職した彼女は現在、タクラマカン砂漠の奥地の観光プロジェクトでガイドを担当している。砂漠の周辺で育った彼女にとって、砂漠がこんなに賑やかな場所になるとは想像もしていなかった。
繁忙期には、観光客は夕方に到着する。砂漠バギーを楽しんだ後、キャンプサイトで地元の歌や踊りを鑑賞し、ナンを焼く体験をする。夕食後には満天の星空が広がり、翌朝は早起きして砂丘の頂上から砂漠の日の出を眺める。
閑散期でも、キャンプサイトは寂しくない。砂漠の胡楊ポプラは若葉を茂らせ、愛嬌のあるトビネズミやふわふわな毛がかわいい砂漠の小型のキツネが現れることもある。ある時は、同僚が興奮しながら「キャンプの近くにモウコガゼルが現れた」と教えてくれた。
現地の砂漠観光区は「千年胡楊ポプラ森林公園」と「新疆マルキト唐王湖国家湿地公園」に隣接している。
「観光開発は砂漠生態系に影響を与えてはならない。私たちは最初から適切な対策を講じてきた。給水、電力供給、インターネットの整備に加え、キャンプサイト近くには汚水処理場とゴミ収集所を設置し、砂漠にゴミや汚水を残さないようにしている」とレイハン・アイハンさんは説明する。
砂を一掴みしてズボンにまぶし、軽く払えば、ズボンは元通りきれいになる。レイハン・アイハンさんは「ここの砂はとてもきれいだ。私たちはこれを守らなければならない」と言う。
マルキト県党委員会の王法強(Wang Faqiang)副書記は「マルキト県にとって、砂漠観光は雇用を生み出し、住民の収入を増やすものだ。砂漠の管理、保護、開発を通じて、砂漠対策と富裕化を結びつけた発展の道を模索している。砂漠観光は豊かな鉱脈だと言える。中国最大のタクラマカン砂漠は『砂漠の維持管理+産業+雇用+観光』の実施によって、今後ますます多くの観光客を惹きつけるだろう」と抱負を語る。(c)PeopleʼsDaily/AFPBBNews