【8月9日 AFP】長崎市の浦上天主堂(浦上教会)で9日、原子爆弾が投下された午前11時2分、80年ぶりに二つの鐘楼にそろった鐘が同時に鳴らされた。

天主堂で行われたミサに出席した200~300人がそれを聞いた。

堂々とした赤レンガ造りの天主堂は、爆心地から数百メートルしか離れていなかったため、1945年の原爆投下で建物のほとんどが倒壊・焼失。1959年に再建された。

二つの鐘のうち一つだけががれきの中から回収され、もう一つは壊れてしまった。

だが、米国の原爆開発計画「マンハッタン計画」に関わった医師の孫、米ウィリアムズ大のジェームズ・ノーラン・ジュニア教授(62)の協力で復元された。

復元プロジェクトを始めようと思ったきっかけは、長崎での聞き取り調査の際、ある日本人キリスト教徒が、生きているうちに二つの鐘が同時に鳴るのを聞きたいと口にしたことだった。

ノーラン教授は全米各地の教会などで、1年にわたって原爆に関する講演を行い、米国のカトリック教徒から12万5000ドル(約1840万円)を集めることに成功した。

春に長崎で新しい鐘が除幕された際、「人々の反応は素晴らしかった。文字通り涙を流す人もいた」とノーラン教授は語った。

ノーラン教授が会った多くの米国のカトリック教徒は、長崎のキリスト教徒の痛ましい歴史を知らなかった。長崎のキリスト教徒は16世紀に最初の欧州人宣教師によって改宗。江戸時代に禁教政策によって弾圧されたが、250年以上もの間、ひそかに信仰を守り続けた。

ノーラン教授によると、原爆によって長崎のキリスト教徒1万2000人のうち8500人が亡くなった後も粘り強く生き抜いたことを知ると、米国のカトリック教徒は、同情を寄せて悲しむとともに、「許しと再建への意志」に感銘を受けたという。(c)AFP