【8月7日 AFP】西暦79年のベズビオ山噴火後にポンペイで人々が再び暮らしていたことを示す新たな証拠が見つかった。ポンペイ考古学公園が6日、発表した。

噴火前には2万人以上が暮らしていた古代ローマの都市ポンペイは、火山の噴火で大きく破壊されたが、新天地に移る余裕のなかった一部の生存者が壊滅した地域に戻り、生活を再開したと考えられるという。

考古学者たちはまた、被災地に残された貴重な物品を探し求める人々も流入したとの見方を示した。

発表では「考古学的資料から判断すると、インフラの整備もない非公式な集落で、そこに暮らす人々は不安定な生活を強いられていたと思われる」と説明された。同地域が完全に放棄されたのは5世紀になってからだという。

被災後、古い家屋の上層階で人々は再び生活を始めたが、もとの1階部分は、オーブンや製粉機を備えた地下室として改造された。

「新たな発掘のおかげで状況がより明確になった。79年以降のポンペイは、もはや都市というより、不安定で灰色の集落だった。かつてのポンペイの面影が残る廃虚の中に築かれた、一種のキャンプのようなものだった」と、考古学公園のディレクター、ガブリエル・ズクトリゲル氏は述べた。

同氏によると、この被災地となったポンペイでの生活が再開されていた証拠は過去にも見つかっていたが、もともとあった色鮮やかなフレスコ画や被害を免れた家屋の調査研究が優先されたという。

「人々が再定住した痕跡は文字どおり取り除かれ、しばしば記録もされないまま掃き去られた」とし、「79年の壊滅的な破壊の出来事が記憶を独占している」と続けた。(c)AFP