【5月30日 CNS】北京市の大葆台遺跡博物館の新館が20日、正式に一般公開された。来館者は「勃碣都会 幽燕華章――西漢広陽国の歴史文化展」と「漢風軑華――馬王堆生活芸術特別展」という2つの展示を通して、漢代中国文明の独特な魅力を体感できる。

 大葆台遺跡は、今から2000年以上前の西漢時代、広陽頃王・劉建(Liu Jian)とその王妃の墓であり、1974年に再発見された。ここは「梓宮(棺を納める主室)、便房(副葬品を置く副室)、黄腸題湊(最高格式の木材積層構造の墓室様式)」という葬制が完全に示された中国初の考古学的発見とされている。

 国際博物館の日(5月18日)を前後して、中国各地では一斉に考古学関連の博物館が新設された。遺跡の成果や歴史を展示空間に持ち込む形で公開されており、北京市の大葆台遺跡博物館のほか、安徽省(Anhui)の凌家灘遺跡博物館、江蘇省(Jiangsu)初の考古専門館である蘇州考古博物館、浙江省(Zhejiang)初の考古博物館である玉架山考古博物館などがある。

 大葆台遺跡は、最高格の埋葬形式「黄腸題湊」によって世界的に知られている。「黄腸題湊」という名称は『漢書・霍光伝』に初めて登場し、西漢の最高級の埋葬制度を記述している。「黄腸」とは黄色の柏の芯材を指し、「題湊」とはその柏木を長さ90センチ、直径10センチに切りそろえて平らに敷き重ね、木の端を内側に向けて並べたもので、漢代の皇帝陵や特別に許された諸侯・重臣の墓室に用いられた。

 館内では、1号墓室(西漢広陽頃王劉建の墓)の復元展示や、陪葬された車馬の模型、複製された金糸玉衣などを見学できる。特に「黄腸題湊」の復元展示では、墓室内に当時使用された一部の柏木がそのまま残され、隣の展示ケースでは出土した黄腸木を間近で観察できる。

 試験的に開館したばかりの凌家灘遺跡博物館は、中国中部の安徽省馬鞍山市(Anshan)含山県に位置している。凌家灘は新石器時代後期の長江(揚子江、Yangtze River)下流域の中心集落で、今から約5800~5200年前の遺跡であり、中華文明の「古国時代」の最初期にあたる重要な時期を物語る。祭壇や玉器などを代表とする輝かしい文化を創出し、中国文明の起源と初期発展を解明する重要な手がかりを提供している。

 新しく開館した凌家灘遺跡博物館では、約1100点(組)の貴重な文物が展示されており、多くが初公開となっている。展示室には、両面彫刻の玉製の龍、八角星文が刻まれた玉の鷹、写実的な玉人形、宗教儀礼を象徴する玉製の亀や玉板、重さ88キロにもなる巨大な玉製の豚の像などがある。

 人工知能(AI)や裸眼3Dといった技術を活用して、凌家灘先民の生活風景を再現するのも博物館の見どころの一つだ。文物、歴史、デジタル仮想空間が融合し、時を超えた古今の対話が演出されている。たとえば、来館者はVR機器を装着することで5000年前の先史時代の祭壇に「タイムスリップ」し、360度のパノラマ視点で先祖たちの生活や儀式を体感できる。

 空から見ると、蘇州考古博物館は三角形を基調とした建物で、越城遺跡から出土した石斧や鉞(まさかり)の形をモチーフに取り入れており、江南文明の奥深さを静かに語っている。同館では、初回展示として1200点(組)以上の文物を公開しており、そのうち8割以上が初披露である。

 なかでも目を引くのが、重さ約90トンの「三国孫呉一号墓」を館内に移設・再現した展示だ。全長約15メートル、幅約10メートル、占有面積150平方メートルで、蘇州地域における最大・最上級の墓とされている。復元には7年もの歳月を要した。

 浙江省杭州市(Hangzhou)にある玉架山考古博物館では、良渚時代の古代水田、約4000年前の水牛の蹄跡、刻印のある玉の円盤など1800点以上の文物を通じて、もう一つの重要な史前文明「良渚文明」に触れることができる。

 この博物館は、臨平遺跡群・茅山遺跡・玉架山遺跡などで構成されており、なかでも玉架山遺跡は2008年から十数年に及ぶ発掘調査を経て、現時点で唯一、良渚文明の興亡を一貫して示す唯一の集落遺跡として確認された。来館者は館内で数千年前の稲作や玉器などと出会うだけでなく、隣接する遺跡公園で実際の風景を見学できるため、歴史をまさに「手に取るように」感じることができる。(c)CNS/JCM/AFPBB News