■作物転換のヒント

キュリュオバの文明は文字による記録がなく、依然として謎が多い。青銅器時代には、ヒッタイト人に先行するハッティ人がエスキシェヒル周辺に住んでいた。

考古学者のデニズ・サリ氏は「キュリュオバは交易、手工業、農業、鉱業が栄えた中規模の都市集落だった。一定の家族構造と社会的秩序が明確に存在していた」と説明する。

このパンの再発見は、干ばつに適応した古代の小麦栽培への関心を呼び起こしている。

ウンルチェ市長は「わが市は気候危機に直面しているのに依然、多くの水を必要とするトウモロコシやヒマワリを栽培している」という。「先祖たちは私たちに教訓を与えている。彼らにならって、水をあまり必要としない作物に移行すべきです」

市長は干ばつや病気に強いカビルカ小麦の栽培を復活させたいと考えている。「この土地は5000年の間、このパンを保存し、私たちに贈り物を与えてくれた。この遺産を守り、次世代に伝える義務があります」(c)AFP