中国アニメ映画『哪吒之魔童鬧海』の爆発的ヒットから学ぶこと
このニュースをシェア
【5月31日 Peopleʼs Daily】『哪吒之魔童鬧海(英題:Ne Zha2)』(以下『ナタ2』と略称)は1月29日の公開以来、興行収入が急上昇を続け、2月9日12時時点で興行収入75億元(約1487億2500万円)を突破し、単一市場で初めて興行収入10億ドル(約1432億2700万円)を突破した映画となった。
これは奇しくも中国映画の誕生120周年、世界の映画誕生130周年の節目に起こり、中国の映画業界の自信を大きく高め、映画芸術の進化の生命力を示すものとなった。この『ナタ2』の成功は、中国の映画創作に対する多くの啓発をもたらした。
『ナタ2』は、中国の「アニメーション学派」が新たな段階に到達したことを象徴している。20世紀、「上海美術電影製片廠(Shanghai Animation Film Studio)」の古典作品群を代表とする中国アニメーション学派は、中国の人びとから愛され、世界からも注目されていた。
しかし、当時の創作と制作モデルは、現代の映画産業の発展速度に対応できず、観客のニーズを満たせなかったため、輝きの時代の後、そのアニメ制作事業は深刻なボトルネックに直面した。
その後、新時代に入り、中国映画産業の改革が深化し、中国経済・社会の発展、科学技術の進歩、文化市場の繁栄、映画人材の蓄積など新しい資源と力を得て、中国アニメ産業は新たな発展のチャンスをつかんだ。アニメを愛する若い映画人と新しい映画企業が台頭し、数多くの中国アニメファンがこの動きに熱烈に反応している。
『ナタ2』は、中華文化が持つ比類なく悠久で豊かで深い思想的資源を人々に認識させた。 映画では、紀元前数千年の昔に四川省(Sichuan)奥地で栄えた「三星堆(Sanxingdui)文明」の出土品から着想を得た「結界獣」、超巨大な「天元鼎」、明朝時代に書かれた神秘幻想小説『封神演義』のキャラクター「石磯娘娘」の机上の銅鏡の文様などが、観客を中国古代の青銅器時代へと誘う。
物語では、やはり『封神演義』に登場する宝の珠「混元珠」が魔丸と霊珠の2つに割れ、その2つがそれぞれ成長し、一連の物語を引き起こすという基本設定は、中国の道教の始祖『荘子(そうし)』の「混沌が二人の神の善意で7つの孔を開けられたら、そのとたんに死んでしまった」(意味:(混沌が自然の本来の姿だが、それを人の理屈でいじってしまうと、かえって破滅に通じる。7つの孔とは顔面の目耳鼻口の合計7つの孔で、知覚や知性を象徴する)という寓話と一脈相通じるものである。
仙魔両界の戦闘シーンでは、1979年上映の古典的アニメ映画『哪吒閙海』の覚醒テーマを引き継いでいる。
物語の展開に関わる多様な手がかりの数々、デザインにおける美醜の混在、キャラクターの荘重さとユーモアとの融合は、曲(うた)・科(しぐさ)・白(せりふ)を伴った中国中世の歌劇の一種「元雑劇」や明・清時代の通俗小説の叙事スタイルの姿を捉えている。
映画は庶民が好む俗世の美学を継承し、融合し、革新し、鍛錬した上で再び創造している。実際、『ナタ2』からは西洋の動画や日本のアニメの影響も窺える。近代以降中国に流入した西洋文化は、中国現代文化の構築に活用され、これは中国式現代化のプロセスにおける文化的な物語の一つとなっている。
『ナタ2』はまた、中国の新世代の映画人の成長にも注目させる。新しい世代の芸術家たちの強みは、中国の実情、社会、人生に対する深い体験と理解をベースにして、最終的にそれらを新しい芸術言語へと変換できる点にある。多くの若い観客は『ナタ2』の中に自分自身の影を見出し、深い共感と共鳴を覚える。つまり、「天馬が空を駆ける」神話と幻想が観客に説得力を発揮し愛されるためには、現実主義精神と現実への共感という土台が備わっていることが不可欠なのだ。
さらに『ナタ2』には、新世代の映画人が芸術のジャンルを越えた結合、メディアとの融合、技術の進化、文明の相互理解の実践の体系化の傾向が現れている。
『ナタ2』の中の土肥坡(架空の地名)大戦の土抜鼠の妖怪との戦闘シーンや、水墨粒子技術で表現された色彩の奇観は、同業者の支援を受けて実現した。映像業界の著名なデジタルテクノロジー企業「原力数字科技」は、自社のプロジェクトの配信を一時停止し、「ナタ2」の担当部分を完了させるため尽力したという。
「団結は力」という信念は、中国映画業界の共通認識としてますます強まっている。クリエイター個人からスタジオ、企業に至るまで、単独行動や孤立した活動から脱却し、協力体制を築き、資源を共有し、業界を強化し、全体的なウィンウィンの良好な生態系へと進んでいる。
『ナタ2』は良い物語を語った。そして『ナタ2』の誕生とヒットが、また一つの良い物語となった。前者(物語)はクリエイターたちの成果であり、創造性に満ちた個々の存在だ。そして後者(映画)は、中国のアニメーション、映画、テクノロジーなどの成果であり、それらがより大きな主体を構成し、新たな文化の潮流を形成しているのだ。(c)PeopleʼsDaily/AFPBBNews