【5月5日 AFP】台湾の公園で見かけるゾウの形をしたすべり台。年配の台湾人ならば、昔はどこにでもあったと言って懐かしがるだろう。

人造大理石やコンクリートでできているゾウのすべり台は、1960~70年代には各地の学校に置かれ「ゾウじいさん」と呼ばれて親しまれてきた。しかし、公園安全規制が強化されて以来、その数は減っている。

「私たちの世代にとって、ゾウのすべり台は一緒に育った友達のようなもの」と語るのは、作家の尤秋玲氏(58)だ。

自分と同じ世代は皆、懐かしがるだろうと考えた余氏は、2010年から台湾各地の学校を訪れ、残っているゾウのすべり台の写真や関連する話を記録し、フェイスブックで共有し始めた。「ゾウのすべり台は、世代を超えて台湾人が共感する記憶です」

余さんはフェイスブックに「ゾウ(のすべり台)の友だちを探そう」と称するグループページを立ち上げた。ここに集う人々は、再発見したゾウのすべり台の位置情報や、ゾウのすべり台にまつわる思い出をシェアしている。

ゾウのすべり台は、カラフルなタイル製のものから幻想的なイラストが施されたもの、本物のゾウそっくりのものまで、その種類は多岐にわたる。ただし、鼻の部分が幅広いすべり面となっている点はどれも共通している。

起源は不明だが、その鼻の部分がすべり台として理想的だったので定番化したと考えられている。

中には、台湾で愛されたアジアゾウの「林旺(リン・ワン)」がヒントになったという人もいる。1917年生まれのリン・ワンは、第2次世界大戦中にミャンマー(当時のビルマ)で旧日本軍に使われ、その後に中国軍に使役したゾウで、1947年に台湾へと運ばれた。その後、86歳まで台北動物園で飼育され、2003年に死んだ。

残るゾウのすべり台の多くには、それぞれが造られた時代を反映したスローガンが書かれている。

古いものには「強い体で国を作ろう」「国を愛そう」といった愛国的なフレーズが多い。これらは中国本土から台湾へ逃れた当時の国民党政府が、愛国心を醸成するために用いたスローガンを想起させる。一方、後年のすべり台には「美しい」や「活気」といった言葉が書かれている。

各地にあるゾウのすべり台を撮影し、オンライン上の地図にそれぞれの所在地を明示している台湾人デザイナー、シウ・ピーチェンさんによると、ゾウのすべり台は全土で400~450台ほど残っている。

しかし、多くの学校はすべり台を使用禁止としており、今はアートインスタレーションと化しているという。

尤さんは「これからもゾウのすべり台が保存され、子どもたちに楽しい思い出を与え続けてほしい」と語った。(c)AFP