38年間、黄河の美しさをレンズに収めた写真家・中国
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【3月22日 Peopleʼs Daily】「近い、近い!」劉福海(Liu Fuhai)さんは岩に伏せ、目をファインダーに密着させ、額には汗をにじませている。
黄河(Yellow River)が発する轟音は、まるで万馬の奔走のようだ。崖の上から流れ落ち、突然深い淵に落ち込む。大きな波しぶきが立ち、水霧(すいむ)が巻き上がる。劉さんは息を止め、素早く「カシャ、カシャ」とシャッターを切り「黄河壺口瀑布(Hukou Waterfall)」の壮大な水勢をカメラに収める。
70歳を超える劉福海さんは、山東省(Shandong)済南市(Jinan)在住で、中国撮影家協会の会員だ。彼は「母なる河」として知られる黄河に深い愛着を抱いている。38年間にわたって黄河の源流から山東省東営市(Dongying)の河口まで、何万枚もの写真を撮影してきた。劉さんはこれまで毎回往復2000キロ近くの距離を移動して、壺口瀑布にはもう40回以上も足を運んでいる。
劉さんの黄河への思いは少年時代にまでさかのぼる。彼は「あの頃は誰もが黄河のダムへ遊びに行くのが好きだった。黄河の逆巻く流れを見ると、深い畏敬の念を感じた」と話す。
80年代、彼は済南市の自動車工場で働き始めた。1987年、会社の宣伝用写真を撮影するため、同僚たちとリュックを背負い、長い道のりを踏破して、壺口瀑布を訪れた。
「真夏の酷暑の頃だった。黄河の河岸を壺口瀑布に向かって歩いていると、突然遠くの方から鈍い轟音が聞こえてきた。進むにつれて次第にはっきり聞こえるようになり、遠くに滝の輪郭がぼんやりと見えてきた。その轟音はまるで列車が通り過ぎるような音で、我々は興奮して跳び上がった」、劉さんは初めて現地を訪れた時の感動をこのように語った。
壺口瀑布の前に立った時、目の前に広がる黄河の雄大な姿に、劉さんの胸には少年時代の思い出がふつふつとよみがえり、目には涙が浮かんできたという。
彼は「これは母なる河・黄河の神秘の力かもしれない」と感じた。
「もっと多くの人たちに黄河の美しさを理解してもらうことはできるだろうか?」、瀑布からの帰り道、彼は黄河の写真を撮ろうと決心した。
黄河の美しさを写真に収めるのは容易なことではない。まずは撮影技術を磨かなければならなかった。劉さんは、黄河をテーマにした多くの写真集を参考にし、あちこちからアドバイスももらい、構図、露出、焦点距離、フィルターなどについて学んだ。そして次第に自分なりの撮影のやり方を見つけ出した。
劉さんは撮影中に危険な目に遭ったこともある。より良い撮影ポジションを見つけるため、裸足で黄河の干潟を歩いていた時、予期せず泥沼に落ちてしまった。抜け出そうとすればするほど、どんどん深みに沈み込んだ。
「身体の大部分が埋もれてしまった。その時最初に考えたことは、写真を護るためにカメラをもっと高く持ち上げることだった。何しろ、あまりにも貴重な写真に思えたので」、彼はその危機的な瞬間をこう回想している。
幸いにもチームメイトに救い出されたものの、足の裏は砂利で切れて感染症を患い、それ以来、彼は慢性疾患を抱えることになってしまったという。
ではなぜ、劉さんはそんな危険な場所に行くのだろうか?
彼はそれについて「多くの人が行ける場所で撮影した写真は、どれも似たり寄ったりで、ユニークな写真を撮るのは難しい。黄河の斬新な映像を撮りたいなら、もっと独特のアングルを見つけるため、普通は行けないような場所にも行かなければならない」と説明する。
劉さんは19年に、黄河をテーマにした芸術写真作品集を出版した。その写真集を見ると、同じ黄河が千差万別の姿で現れ、それぞれの写真が異なる物語を語っているように見える。彼は「強烈な視覚的インパクトで黄河の奔流とその沿道の変化や発展を表現したい」と言っている。
彼はまた、黄河沿線の風土や生活の変化と社会や経済の急速な発展もそのカメラに収めている。アルバムをめくりながら、彼は「見て欲しい。ここはかつて道路が未整備で、出入りが非常に不便な場所だった。その後は観光業のおかげで地元は裕福になってきている。写真を見ても、徐々に人の流れが増え、今では人波が押し寄せているような光景が写っている。まさに写真から実感できる変化だ」と語る。
昨年の夏、写真展「黄河とナイル川の文明対話」が「中国・アフリカ民間フォーラム」に合わせて開催された。この写真展に参加するため、劉さんは非常に多忙な日々を送った。黄河の様々な場所に行き、多くの写真を撮影した。
「私はこれからもカメラを使って黄河の美しさを記録し続けるつもりだ。黄河の物語をしっかりと伝えていきたい」、劉さんはこのような思いを抱いている。(c)PeopleʼsDaily/AFPBBNews