発見から50年がたった兵馬俑、その後の研究と文化事業の発展とは
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【12⽉16⽇ Peopleʼs Daily】中国・陝西省(Shaanxi)西安市(Xi'an)臨潼区(Lintong)で1974年3月、井戸を掘っていた住民が偶然に陶器の破片を見つけた。兵馬俑(へいばよう)発見のきっかけだった。それから50年が経過した現在、総面積2万平方メートル余りの範囲に兵馬俑約8000体とさまざまな兵器4万点が埋められていたことが判明している。この「地下軍団」には兵営や軍幕が張り巡らされた区画もあった。秦始皇帝陵と兵馬俑坑は1987年、国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(World Heritage)リストに登録された。
2024年9月には兵馬俑の1号坑と2号坑の発掘と保護、見学を共に成り立たせる設備が完成した。設備には内部環境や照明の調整、作業記録、文化財情報収集、出土品運搬などの機能が備わっている。
人々が見る兵馬俑は堂々たる姿だ。しかし、出土時にはひどく破損している場合が多く、破片は平均で数十個に上る。接合を始めるまでには1~3年間をかけて組み合わせを試して練習せねばならなかった。1か所に1ミリの誤差があっても、どこかでつじつまが合わなくなるからだ。
現在では工業用スキャナーを用いて出土物の表面情報を収集して、三次元情報データベースを構築して、破片の形状の類似性を示してから接合することができる。先端技術は出土品の復元を支援するだけでなく、その後の保護、保存復元計画、デジタル展示などの作業の基礎を築く。
兵馬俑は本来、彩色されていた。しかし保護処理をせねば、出土してわずか数分で顔料が次々に反ったり剥がれたりする。中国内外の科学者は1980年代から「極彩色の地下世界」を保存しようと、研究と協力を続けてきた。
秦始皇帝陵博物院(Emperor Qinshihuang’s Mausoleum Site Museum)とフランスの文化遺産科学財団は今年5月、遺跡保護の研究で提携する協定を結んだ。秦の始皇帝陵についてはまた、ドイツやベルギー、英国など多くの国の研究機関と協力することで、世界文化遺産の保護の対話が強化されている。
現在では秦始皇帝陵博物院に付属する秦始皇兵馬俑博物館(Qin Shihuang Terracotta Warriors and Horses Museum)が完成したのは1979年で、兵馬俑の見学者は現在までに1億6000万人に達した。また、博物館を訪れた外国の要人は230人を超えた。
逆に兵馬俑が世界に出向いたこともある。第1回は1976年で、兵俑2点と馬俑1点が日本で展示された。2007年から2008年までの英国での特別展では、10万枚のチケットが売り切れた。2022年から2023年にかけて日本で開催された「兵馬俑と古代中国」展には、40万人以上が集まった。兵馬俑が海外で展示されるたびに、中華文化のブームが巻き起こる。秦の始皇帝関連の文化財はこれまでに、50余りの国と地域の200近くの都市で累計277回展示され、延べ2000万人が足を運んだ。
秦始皇帝陵博物院の李崗(Li Gang)院長は、「われわれは引き続き、秦始皇帝陵と秦兵馬俑の物語を世界に語るよう努力して、文化遺産の保護、伝承、伝播の模範であるよう努めます」と述べた。(c)Peopleʼs Daily/AFPBB News