【11月6日 CGTN Japanese】中国東部に位置する江蘇省南京市でこのほど、三国時代の呉(東呉とも)の重臣だった張昭(156~236年)の墓が見つかりました。張昭は中国の古典小説「三国演義」で、孫策が弟の孫権に「内事決せずんば張昭に問え、外事決せずんば周瑜に問え」と遺言したことで知られる人物です。

 張昭の墓の位置は南部新城油庫公園です。南京市考古研究院の職員が2022年の探査で墓576基と6カ所の灰坑(当時のゴミ置き場)を発見しました。うち早期に盗掘されたM171墓の主が二つの金印により特定されました。金印の銘文はそれぞれ「輔呉将軍章」と「婁侯之印」です。「三国志・呉・張昭伝」には、東呉大帝となった孫権が張昭を「輔呉将軍」に任じ、「婁侯」に封じたと記されています。

 張昭は字(あざな)を子布といい、呉の彭城の人です。漢末の大乱に孫策に仕え、長史や撫軍中郎将の官職に任じられました。孫策は死に際し、孫権を全力で補佐するよう張昭に託しました。孫権が出征するたびに、張昭は後方を鎮守しました。張昭は剛直な性格で、孫権に直言して戒めたため、孫権は張昭を敬うとともに恐れたと伝わっています。張昭は236年に81歳で死去しました。

 考古学者は、張昭の墓の近くで他に同時期のれんが造りの墓7基を発見しました。これらは張昭の家族の墓で、張昭の墓を中心に西から東に向かって分布しています。南京市文化財保護部門は、今後、張昭の家族の墓とそれに付属する排水設備について関連保護措置を一層強化するとのことです。(c)CGTN Japanese/AFPBB News