「古きを守り新しきを取り入れる」で歴史を伝える=麦積山石窟
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【10⽉9⽇ Peopleʼs Daily】麦積山石窟は、中国・甘粛省(Gansu)天水市(Tianshui)の中心部から南東の方向にある。断崖絶壁に221か所の洞窟が穿(うが)たれており1万体余りの各種像と1000平方メートル近くの壁画がある。そして敦煌(Dunhuang)の莫高窟(Mogao Caves)、洛陽(Luoyang)の龍門石窟(Longmen Grottoes)、大同(Datong)の雲崗石窟(Yungang Grottoes)と共に「中国四大石窟」と呼ばれている。
麦積山石窟の建造は、五胡十六国時代の後秦(384~417年)の時代に始まり、十数王朝にわたって続いた。そのため、石窟寺院が中国化する過程が刻まれている。
麦積山石窟のある地は、古くは秦州と呼ばれ、シルクロードの重要な中継地だった。仏教がシルクロードに沿って伝わった際にも、住民の主流が漢族である地域の中で、仏教の活動が最も早く始まった場所の一つだ。
麦積山石窟は敦煌の東、龍門の西、雲崗の南、そしてやはり重要な大足石刻の北にある。すなわち、中国の石窟回廊の「交差点」に位置している。麦積山石窟では長い歴史を通じて、融合と吸収、包容と蓄積が行われ、常に刷新され、東西文明の交流と相互参照が発生した。第74窟や第78窟に入ると、正面壁の左右と上部にそれぞれくぼみがあり、くぼみの中には交脚の菩薩と思惟菩薩が三体一組で配置されている。菩薩の配置は典型的なガンダーラ様式だが、くぼみの形状は中国北部の民族の建築様式を模したものであり、異質のものが共存しながらもよく調和している。
文明交流と相互参照は、人類文明の進歩と世界の平和発展を推進する重要な力だ。麦積山石窟では自らの特色を保つと同時に、さまざまな文明の優れた成果を絶えず参考にし、吸収し、「あなたの中に私がいて、私の中にあなたがいる」という多文化の融合が進行した。
麦積山石窟は2014年、中国とカザフスタン、キルギスの共同推薦により世界文化遺産に登録された、シルクロードの構成要素でもある。
麦積山には木々が林立し、霧もよく発生する。景観としては素晴らしいが、石窟の像や壁画にはひびや脱色などが発生しやすい。麦積山石窟の保護組織が設立されたのは1953年10月で、1961年3月は第1期分の全国重点文化財保護施設の一つになった。2017年には敦煌研究院の管理に移され、保存は飛躍的な発展を迎えた。法整備、桟道の評価、計画の修正などの作業を展開し、保護と利用が科学的かつ規範あるものになった。当初は多かった緊急性の保護が、系統的な保護へと転換されていった。
麦積山石窟についてはデジタル技術を駆使した「クラウド麦積」も構築された。多くの人が、遺跡の保護に影響を与えることなく、洞窟に足を踏み入れた疑似体験ができる。さらに3D印刷技術により、麦積山石窟の代表的な文化財が実物大で再現された。
文化財は歴史の証人であり、文化の媒体だ。中国の文化財は「古きを守り新しきを取り入れる」という方法で、長い歴史を伝え続けていく。(c)Peopleʼs Daily/AFPBB News