1856年沈没の仏蒸気船の残骸発見 米マサチューセッツ州沖
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【9月12日 AFP】米国・マサチューセッツ州沖でこのほど、1856年に米国の帆船との衝突事故後に沈没したフランスの蒸気船「リヨネ(Le Lyonnais)」の残骸が見つかった。この事故では114人が死亡した。米国の沈没船捜索会社が発表した。
リヨネは1855年に建造され、当時の最先端とされていた。仏ルアーブル(Le Havre)からニューヨークへの初航海を終え、フランスに戻る途中で事故に遭った。
沈没船の調査・引き揚げを専門とする米企業「アトランティック・レック・サルベージ(Atlantic Wreck Salvage)」のジェニファー・セリッティ(Jennifer Sellitti)氏は、同社のチームが先月、20年にわたる捜索の末にリヨネの残骸を発見したと話した。
リヨネが見つかったのはマサチューセッツ州ニューベッドフォード(New Bedford)沖約320キロメートルのジョージズバンク(Georges Bank)と呼ばれる海域。現時点で詳細な場所は公表していない。
セリッティ氏によると、リヨネは「ばらばら」になっているが、エンジンのシリンダーの大きさが決め手となり特定に至った。
リヨネの船体は鉄製で帆と蒸気エンジンの両方を備えていた。フランスと米国を結ぶ客船兼郵便船として建造された。
セリッティ氏によると、リヨネはニューヨークで貨物と郵便物を降ろし、最初の乗客を乗せてルアーブルに戻る途中で沈没した。乗客乗員は132人で、客の大半はフランス人だった。
1856年11月2日の夜、リヨネは、メーン州からジョージア州に向かって航行していた米国の帆船「アドリアティック(Adriatic)」と衝突した。
1856年11月19日付のニューヨーク・タイムズに掲載されたアドリアティックの船長の声明によると、午後11時頃、リヨネが「突然進路を変えたため、衝突は避けられなかった」という。
船長によると、アドリアティックは大きな損傷を受けたものの、2日後にマサチューセッツ州グロスター(Gloucester)にたどり着くことができた。一方で、リヨネはそのまま航行を続けた。
セリッティ氏によると、この際リヨネは喫水線辺りとより下方に穴が開くなど、大きく損傷していたという。
リヨネは衝突の数日後に沈没。数少ない生存者は他の船に救助された。
セリッティ氏によると、リヨネとアドリアティックの衝突事故は当時、国際的に注目され、仏小説家ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)の「海底二万里(Twenty Thousand Leagues Under the Sea)」でも取り上げられている。しかし、1861年に米国で南北戦争(US Civil War)が勃発すると、人々の口の端に上らなくなったという。(c)AFP/Chris Lefkow