【4月16日 東方新報】中国東部の江蘇省(Jiangsu)鎮江市(Zhenjiang)で、六朝時代の貴族の墓が発見された。

 墓の主は、六朝時代に建康(現在の南京)に都を置いた南宋(劉宋とも呼ばれる)の建国者で、初代皇帝の劉裕(Liu Yu)の母方の叔父である趙宣之(Zhao Xuanzhi)だった。

 考古学者が6号墓で趙の名を記した青銅製の印章を発見したことで墓の主が特定された。鎮江市文物保護・考古研究所の李西東(Li Xidong)副所長は、「6号墳で発見された青銅印は趙宣之の個人印であることが確認された。墓の年代は歴史的な記録とも一致している」と説明する。

 6号墓からは墓室前面の祭壇近くに配された20個の葬具も出土した。専門家は「この発見は六朝時代の埋葬システムの進化や葬儀のコンセプト、民族移動の変遷を研究する上で極めて重要な証拠となる」と高く評価している。

 6号墓は地元の考古学発掘調査で発見された13基の墓の一つで、そのうち7基は東晋から南朝時代にかけてのレンガ造りの高貴な墓で、その他の6基は時代がはるかに新しい明と清の時代の民間人の竪穴墓であった。

 墓は北西から南東の方向に整然と並んでいる。このうち、5号墓と6号墓は保存状態の良い短剣のような形をしたレンガ造りの墓で、9号墓と12号墓は規模が大きく、高級な仕様のものだった。9号墳は保存状態があまり良くなかったが、滑石の一種せっけん石で作った豚など30点以上の精巧な副葬品が出土した。

 考古学者によると、この墓地で発見された六朝時代の墓のほとんどは東晋時代のもので、当時の人口移動の証拠となり、中国史における民族移動の研究の手がかりや資料となる貴重なものだという。(c)東方新報/AFPBB News