【2月21日 AFP】サッカー元西ドイツ代表で、1990年のW杯イタリア大会(1990 World Cup)で優勝を決めるPKを成功させたアンドレアス・ブレーメ(Andreas Brehme)氏(63)が、20日までに死去した。元所属クラブのバイエルン・ミュンヘン(Bayern Munich)が発表した。

 ブレーメ氏は左SBの他にさまざまなポジションでプレーできる選手で、指導者でもあった父親の影響もあり、両足を巧みに使った。バイエルンでは1986年から1988年に2シーズンを過ごし、1987年にはブンデスリーガ1部優勝を経験した。

 故郷ハンブルク(Hamburg)の労働者階級が多い地域にある小クラブHSVバルムベクウーレンホルスト(HSV Barmbek-Uhlenhorst)でキャリアをスタートさせると、国内ではバイエルンの他にザールブリュッケン(FC Saarbruecken)とカイザースラウテルン(1.FC Kaiserslautern)、イタリアのインテル(Inter Milan)、スペインのレアル・サラゴサ(Real Zaragoza)と、欧州各地で足跡を残した。

 イタリアでは、インテルでともにプレーしたユルゲン・クリンスマン(Juergen Klinsmann)、ローター・マテウス(Lothar Matthaeus)とのドイツ選手トリオの一角として記憶される。チームはこの日行われた欧州チャンピオンズリーグ(UEFA Champions League 2023-24)のアトレティコ・マドリード(Atletico de Madrid)戦に、ブレーメ氏を悼む黒い腕章をつけて臨んだ。

 最もゆかりが深かったのは間違いなくカイザースラウテルンで、2回の所属期間で合計10シーズンプレー。2部へ降格した1996年には涙を流したが、チームは1年で1部へ復帰すると、そのままブレーメ氏が主将を務めた1998年には優勝を飾った。2000年代初頭にはブレーメ氏がクラブの監督を務めた。

 代表では86試合に出場し、ディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)を擁するアルゼンチンに1-0で勝利したイタリア大会決勝でPKを決めたことが最大の実績になった。チームは4年前のメキシコ大会決勝で、同じアルゼンチンに2-3で敗れていたが、このゴールでその雪辱を果たした。

 85分のPKでは、ハーフタイムにスパイクを履き替え、蹴るのを嫌がった主将のマテウスに代わってキッカーを務めた。相手GKの右に決めたキックについて、ブレーメ氏は「PKの重要性のことは考えなかった。何も考えないようにした」と話している。(c)AFP