■悲しみから怒りへ

 襲撃から10日後、バイスマンさんの悲しみは圧倒的な「怒り」に変わっていた。「わが国の有名な軍隊がどうして、不意を突かれるなんてことになったのか」

 今回の攻撃で、ナチス・ドイツ(Nazi)から隠れていた子ども時代の記憶がよみがえったと語った。

 バイスマンさんの両親はポーランド人で、1933年にポグロム(ユダヤ人大虐殺)を逃れてフランスへ移住した。バイスマンさんは1940年に同国で生まれた。

 だが父は1944年、ナチス占領下となったフランスの民兵に拘束され、110万人が殺されたアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所に送られた。

 バイスマンさんと妹は、ある非ユダヤ人の家族が「おいとめい」だと偽って、仏南東部リヨン(Lyon)近郊の村に一緒に疎開させてくれた。

 戦後、バイスマンさんはイスラエルへ移住し、最初はヨルダン国境近くにいた。1967年の第3次中東戦争(6日間戦争、Six-Day War)でイスラエルがエジプトからシナイ半島(Sinai Peninsula)を占領すると、この半島にあった農村ネティフハアサラに移り住んだ。

 だが、シナイ半島の統治権をエジプトに返還する和平交渉の下、村は1982年に半島から立ち退き、現在のガザ地区に近い場所へ移転した。

■願うのはハマス「壊滅」

 ハマスによる奇襲から数日後、バイスマンさんは再度住まいを移った。イスラエル中部モディイン(Modiin)にある高齢者施設だ。

 イスラエル軍がガザ地区への地上侵攻に備えて集結したため、ガザに近い村々の住民は、ほとんど家を離れている。

「報復は望まない。ただ責任のある者たちに償ってもらいたい」とバイスマンさん。「悪いのはハマスだけではない」。ハマスの戦闘員が銃を撃ちまくっていたときに「喜び勇んで菓子を配った」ガザの人々にも非があると付け加えた。

 ナチスに対するバイスマンさんの最大の復讐(ふくしゅう)は、生き抜いて家族を築いたことだ。「私たちを滅ぼしたかったのだろうが、私には子どもも孫もいる。私たちは生き続ける」

 ホロコーストの生存者としてドイツ政府から支給されている賠償金を使って、家族の休暇を過ごしている。

 ハマスに対しては「地図から抹消してやりたい」と語った。ハマスを「壊滅」させるというネタニヤフ首相の約束が成就すれば、「落ち着いて」暮らせるようになる。

 そうしたらまた村に戻るつもりだ。「ただ、娘たちがそれを嫌がるかもしれないのは理解できる」 (c)AFP/Michael BLUM