【8⽉25⽇ Peopleʼs Daily】日本は8月24日、東京電力(TEPCO)福島第一原子力発電所の核汚染水の海洋放出を開始し、自らの手で自らに「環境を汚染した者」の烙印を押した。日本国内にも国際社会にも強い反対と疑問がある中で、そして未知のリスクがあることがこれほど明白であり、影響が広範囲に及ぶにもかかわらず、日本は自らの利益を全人類の長期的な幸せよりも上に位置づけた。実に無責任だ。

 日本の今回のやり方は悪しき実例になった。人びとはかつて、環境保護と食品の安全を重視すると一貫して主張してきた日本でこのような事態が起きるとは、信じられなかったかもしれない。しかし日本政府と東京電力による過去2年にわたる独断専行は、逆に反面教育になった。日本は2023年8月24日をもって、自らの手で自らに「環境汚染者」のレッテルを貼った。人びとは今や、次のように考えざるを得ない。すなわち、日本のこれまでのイメージとはそもそも、強力な宣伝と広報活動によって作り上げられたものではなかったのか。核汚染水ですら全世界に共有させるというのなら、日本はどんな問題でも包装紙にくるんで、他者に売りつけるのではないのか。

 日本政府は福島原発の事故で生じた汚染水の海洋放出を始めるために、さまざまな広報手段を動員した。新聞やテレビで核汚染水のいわゆる「安全性」に関する広告を大量に出し、国民の懸念や反対の声をかき乱して覆い隠した。さらに「風評被害対策」として総額800億円にも上る基金を設立して、事を穏便に済まそうとした。北大西洋条約機構(NATO)首脳会合や東アジア首脳会議(EAS)参加国外相会合、東カリブ海漁業相会合などの機会を利用して、海洋放出計画についての弁解を繰り返した。国際原子力機関(IAEA)の報告書をよく読めば、IAEAが海洋放出を承認したわけではないことが分かる。にもかかわらず、日本は引き下がろうとはしなかった。

 日本のやり方は体系的だった。まるで「自分自身に問題を出して自分自身で解答する」試験に臨んだようなものだった。すなわち、評価を確定できるリスクだけを評価した。しかし放射性物質を含む核汚染水を大量に海洋に放出することは前例がなく、長期間にわたる海洋汚染という不確実なリスクの責任を負うことはできない。

 核汚染水が海に放出されれば、含まれる放射性物質が海洋のあらゆる場所に急速に拡散し、深刻な災いを残すことになる。環境と生態系の重要性を無視して核汚染水を海洋に放出する日本政府の行為は、海洋生物と海洋生態系に深刻な破壊と巨大な危害をもたらすだけでなく、周辺地域の人びとの健康に潜在的な脅威をもたらす。日本政府が世界の環境を破壊した反面教師になることは間違いない。

 日本政府は国際社会の強い非難を受けるだけでなく、影響を受けた国の反発に直面することは確実だ。そして日本の国際的なイメージと名声に長期にわたるマイナス影響が及ぶことになる。

 信頼と尊重は最も価値あるものだ。日本の核汚染水の海洋放出は日本の総合的戦略の進捗における有機的な構成要素だ。海洋放出の推進を急いだことは、短期的には日本に経済上の利益をもたらし、既成事実を作る上でプラスになる。日本の指導者は任期内に政治上の実績を作ることを選んだ。あたかも「出費を抑えた」ように見える。しかし実際には巨大な代償を支払うことになる。

 日本人は「既成事実」を作れば黙認されると考えたようだが、実際には日本はこの日から恥ずべき不名誉を永遠に背負い続けることになる。核汚染水の海洋放出が国際社会で生み出す生態環境の破壊、政治上の衝突、経済への影響も、これから積み上げられていく。「宥和的」な姿勢を示す政府を含めて各国政府は、ますます激しくなる国民の反対の圧力に直面するだろう。各国企業、とりわけ海を資源として水によってビジネスをする企業は、巨額の損失に直面して日本に賠償を請求せざるを得なくなるだろう。核汚染水の海洋放出の問題は国際的な環境保護組織にとって、最も現実的で、最も手ごわく、最も時間のかかる「戦いの相手」になるだろう。日本から全世界の公海へ流れ込む核汚染水の1滴1滴によって、日本はこれから終わりのない責任追及に向き合わねばならなくなる。(c)Peopleʼs Daily/AFPBB News