【8月20日 Xinhua News】中国湖南省(Hunan)常寧市(Changning)廟前鎮の中田村には明清時代からの古建築群が残る。これまでは人々の意識も「古めかしい年代物の建物」程度でしかなく、背後にある歴史の移り変わりと重厚な文化が注目されることはなかったが、2012年に第1次中国伝統村落、19年に第8次全国重点文物保護単位(国宝・重要文化財)に指定されると、600年余り歴史を持つ古民家の価値が認められるようになった。

 中田村には「窨子屋(いんしおく)」と呼ばれる古民家が連なる。古建築が専門の柳粛(りゅう・しゅく)湖南大学教授は「家屋は整然と並び、ほとんどが正方形をしている。華麗さや雄壮さには欠けるが、閉鎖的な外観は重厚さがあり、書斎や祠堂、店舗、工房など全てがそろっている」と説明。2011年に初めて村を調査した際には、古民家群の迫力に衝撃を受けたという。

 柳氏によると、当初の集落は木造だったが、清末から中華民国時代にかけて青磚(せいせん、青れんが)造りに変わった。妻壁の多くは「金」字形で軒と回廊がなく、一部の外窓には細長い監窓(扉の枠の上に設けられた窓)や四角い通気孔が設けられており、湖南省南部の民家「窨子屋」の典型的な特徴が見られる。

 村の前にある池「月光塘」のほとりに石碑があり「中田村古民家群の建築面積は3万8千平方メートル。現存する古建築は100棟余りで、中庭は200余り、路地は108本ある」と刻まれている。

 家屋は切り立つような高い壁で囲まれ、壁の表面は滑らかで光沢を帯びている。縦横に交差する石畳の路地は人がやっとすれ違えるほどの狭さで、しっとりと静まりかえっている。村に伝わる「李氏族譜」によると、明の洪武2(1369)年に「福武郎」という人物が茶陵(現在の湖南省株洲市茶陵県)の衛所から桂陽へ転任し、常寧に駐屯した。35年後の永楽2(1404)年に省南部のヤオ族が反乱を起こした際にも朝廷は福武郎と息子の李子栄(り・しえい)を常寧に派遣。地元に永住して屯田するよう命じた。以来、中田村一帯に定住した李子栄は、兵を鍛えてヤオ族の反乱鎮圧にあたる一方で、大規模な城や要塞を築き、荒地を開墾し、土地を買い入れた。

 李子栄によって中田村の駐屯地は最終的に「駐屯と開墾」の地となり、守りやすく攻めにくい「軍事要塞村」型の建築群となった。村内では600年余り経った今も軍事的な遺構の数々を目にすることができる。

 柳氏は「中田村古民家群には湖南省南部の漢民族居住地域の古民家の特徴だけでなく、軍事防衛の特徴も鮮明に見られる。明代の衛所と軍の駐屯地だった『軍事要塞村』から清代の村落へ変貌を遂げた典型例であり、保存状態も良い。省内では唯一であり、全国でも珍しい。歴史的にも軍事的にも建築芸術面でもかけがえのない価値を持つ」と語った。

 古民家群は今年1月に保存計画の第1期が無事完了。第2期工事も設計計画が承認され、着工に向けた準備が着々と進められている。(c)Xinhua News/AFPBB News