【6月7日 AFP】(更新)スペインの巨匠パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の愛人でミューズでもあった仏女性画家フランソワーズ・ジロー(Francoise Gilot)さんが6日、亡くなった。101歳。

 仏パリのピカソ美術館(Picasso Museum)がAFPにジローさんの死亡を確認した。米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)が先に、心臓と肺を患っていたジローさんが死亡したと報じていた。

 ジローさんは1921年11月26日、仏パリ西郊ヌイイシュルセーヌ(Neuilly-sur-Seine)の裕福な家庭に生まれた。

 21歳だった1943年、ナチス・ドイツ(Nazi)占領下のパリでピカソと出会い、10年ほど愛人関係にあった。ジローさんはこの時すでにエコール・ド・パリで最も尊敬を集めるアーティストの一人となっていた。

 ピカソはジローさんより40歳年上で、当時は最初の妻でロシア人ダンサーのオルガ・コクローバ(Olga Khokhlova)さんと婚姻中であり、フランス人写真家・画家・詩人のドラ・マール(Dora Maar)さんとも愛人関係にあった。

 ピカソとジローさんは結婚しなかったが、47年に息子クロードさんが、49年に娘パロマさんが生まれた。だが、ジローさんは53年に別れを決意し、再び絵を描き始めた。

■「自分が壊れる前に」

 ピカソと人生を共にした女性のうち、2人は自殺し、他に2人が精神を病んだ中、ジローさんは唯一、現代美術の巨匠を自分から拒絶し、立ち去った女性だった。

 ジャーナリスト、ジャネット・ホーリー(Janet Hawley)氏によるインタビュー本「Artists in Conversation(原題)」の中で、ジローさんは「パブロは人生最愛の人だが、自分を守るためには行動を起こすしかなかった。私は自分が壊れる前にそうした」と述べている。

 ピカソは打ちのめされ、以来、ピカソの取り巻きはジローさんや作品を冷遇した。

 競売大手サザビーズ(Sotheby’s)が2021年に引用した発言で、ジローさんは「私はフランスでかなり難しい状況に陥った。ピカソの元を去ったことが大罪とみなされ、もはや歓迎されなくなった」と語っている。

 ジローさんはその後、米国籍を取得。1973年のピカソの葬儀には参列しなかった。晩年はニューヨークに滞在し、90代になっても制作を続けた。

 ジローさんは生涯を通じて署名入りのキャンバス作品1600点以上を制作した。作品は米ニューヨークのメトロポリタン美術館(Metropolitan Museum of Art)やニューヨーク近代美術館(MoMA)、パリのポンピドー・センター(Pompidou Centre)などに展示されている。(c)AFP