【5月15日 AFP】軍隊の侵攻や撤退、政権の誕生や崩壊が繰り返されてきたアフガニスタンでは、確実と言えるものはほとんど存在しない。だが、信頼できるエンジンを持つトヨタ自動車(Toyota Motor)製の「カローラ(Corolla)」だけは、別格の扱いを受けている。

 つつましくも信頼性の高い小型車のカローラは、世界で最も人気のある乗用車とされ、1966年以降、5000万台以上が生産ラインから送り出されてきた。

 丈夫で簡素な構造を持ち、価格も手頃なカローラは、険しい地形を道路が走り、修理は脆弱(ぜいじゃく)な調達網に頼らざるを得ず、過酷な歴史から「間に合わせ」の精神が浸透しているアフガンに見事にマッチした。

「この車は常に庶民のために存在してきた。これで移動すれば、どこにでも連れて行ってくれる」とAFPに語ったのは、自動車整備士のモハマド・アマンさん(50)。「カローラは速く、鋼板は頑丈でよく走る。(他の自動車は)紙のように薄っぺらだ」

 アフガンではどこでもカローラを目にする。山道を駆け上がる四輪駆動車が、速度を上げるカローラに追い越されることもあるだろう。

 アフガンの多くの人々は、「幸福、それはトヨタのフィーリング」「トヨタこそがスタンダード」「美しきカローラ」といった、英語のブランドメッセージが記されたステッカーを自分の車に貼っている。

■「トヨタに特別熱狂的な人々」がいるアフガン

 かつてアフガンの市場をほぼ独占していたのは、旧ソ連の国営企業ラーダ(Lada)の車だった。1989年のソ連軍のアフガン撤退やその後のソ連崩壊を経て、カローラがアフガンを席巻するようになった。

 以後、カローラはアフガンの歴史の背景となってきた。2001年9月の米同時多発攻撃を受けて米軍がアフガン空爆を開始した際には、イスラム主義組織タリバン(Taliban)の元最高指導者オマル(Mullah Omar)師が南部カンダハル(Kandahar)の隠れ家から白いカローラに乗って逃走した。

 その車は同年地中に埋められたが、22年に掘り起こされた。これを発表したタリバン報道官は「良好な状態だ」と述べ、「重要な歴史的記念物」として展示すべきだと語った。

 20年に及んだタリバンの武装闘争で、自動車爆弾に用いる車両として選ばれやすかったのもカローラだった。安価で、しかも周囲に溶け込みやすかったからだ。

 アフガンの国内各地では、定員を超える大家族がカローラに乗り込んでいる光景が見られる。

 自動車ディーラーのアジズッラー・ナザリさん(39)は「他の国々では何でも作られた目的通りに使われるのだろうが、アフガンの人々はそうした基準にはあまりこだわらない」と話した。

 ナザリさんは輸入したカローラを、顧客の予算に合わせて1500〜1万4000ドル(約20万~190万円)で販売している。多くの車両は世界各国を経由してアフガンに輸入されてきた様子がうかがえる。

 カナダから輸入されたらしい真っ白なカローラは、韓国の新聞で内装が覆われ、ガーナのナンバープレートが付いていた。別のカローラには米国の大学のステッカーが貼られていた。

 どの車も「トヨタに特別熱狂的な人々」がいるアフガンにたどり着いたのだと、ナザリさんは言った。