【4月4日 AFP】ロシアがウクライナに侵攻した直後の昨年2月。ロシア軍に占領された首都キーウ北郊のヤヒドネ(Yagidne)村では、上は93歳から下は生後6週間まで、ほぼ全住民に当たる367人が27日間にわたり学校の地下室に監禁された。

 窓もない200平方メートル足らずの空間での生活を「刑務所よりもひどい」と村人の一人は振り返る。地下室での生活で11人が死亡した。

 ウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelensky)大統領は3日、解放から1年に合わせて、ロベルト・ハーベック(Robert Habeck)独副首相と共にヤヒドネを訪問した。

 この村に「強制収容所」を設置したロシア軍を絶対に許さないと非難するとともに、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領には、「残りの人生をトイレ用バケツしかない暗い地下室で過ごしてもらいたい」と述べた。

 AFPの取材に応じた村人の一人、イワン・ポリフイさん(63)は、ロシア軍に「地下室に連れて行く。後でまた別の場所に移動する」と言われた。

 地下室には、テーブルの代わりになるような椅子が数脚と板があるだけで、ベッドやマットレスはなく、床に寝転がるか、座るしかなかったという。

「トイレに行くことしか許されず、刑務所よりひどい状態だった」と話す。

 ポリフイさんの息子、ワレリーさん(38)は「ロシア兵が機関銃を持って家に入って来て、地下室に押し込められた」と話す。「身の回りのものを5分で用意しろと言われた」

 ポリフイさんによると、狭い地下室の中で酸欠で亡くなった人も複数いる。高齢者は気を失い、息を引き取ったという。

 だが、遺体の埋葬もすぐには認められなかった。

「午前中に誰かが亡くなると、(ロシア兵に)頼んで午後には外に運び出すことができた」とポリフイさんは語った。しかし、亡くなったのが夕方の場合は「遺体は地下室に安置されたままで、子どもたちがその周りを歩き回っていた」という。

 地下室の壁やドアには、亡くなった人の名前と日付が刻まれていた。

■解放された時のことは一生忘れない

 ワレンチナと名乗る女性(60)は、地下室の中は息苦しかったと話した。人が歩くたびにほこりが舞った。人の温かい息で結露ができたという。

 誰もが体調を崩した。発熱した人も多く、水痘(水ぼうそう)になる子どももいた。

「料理や食事をする場所もなく、路上に調理場を作った」と話した。

 約1か月後にロシア軍はキーウ近郊から撤退し、ヤヒドネは2022年3月30日に解放された。

 ウクライナ軍がやってきた時は、みんなまだ地下室にいたとワレリーさんは言う。「村にいるのが誰だか分からないので、みんな外に出るのを怖がっていた」

 ワレリーさんは解放されたときのことを一生忘れない。ウクライナ兵を見た時は「言葉にできないほどうれしかった」と話した。(c)AFP/Emmanuel PEUCHOT and Victoria LUKOVENKO