【3月23日 東方新報】抹茶ケーキに抹茶ラテ、抹茶成分入りの美容石けんや化粧水など、中国では日本発の抹茶ブームが数年前から続いている。茶葉を粉末にして飲む抹茶法は12世紀ごろに中国から日本に伝えられたが、発祥の地、中国では長く忘れられてきた。近年、日本から中国に逆輸入された形である。

 中国で抹茶の飲み方を書物としてまとめたのは北宋の第8代皇帝の徽宗(きそう)だといわれている。徽宗は皇帝の公務には関心を示さなかったが、書道や絵画、骨董(こっとう)に詳しく、茶の湯をたしなむ文化人だったといわれる。その著書「大観茶論(たいかんちゃろん)」には、抹茶のおいしい飲み方として「溶いて軟こう状にした抹茶に7回に分けて湯を注ぎ、茶せんを振って雲や霧のような細かな泡をたてる」などと具体的に書かれている。

 徽宗は茶道具、特に茶碗についても詳しかったようだ。当時、天下一の茶碗として高値で売買されていたのは福建省(Fujian)建陽県(jiaanyan)の建窯で焼かれた茶碗だった。なかでも建窯で焼かれた天目茶碗を「建盞 (けんさん、Jianzhan)」 といい、中国国内だけでなく、日本を含む海外でも最高級の茶碗として扱われてきた。

 その建窯も時代とともに廃れ、地元の人もどこにあったか知る人はいなくなっていた。その窯の跡地を再発見したのは1935年に調査に訪れた米ミシガン大学(University of Michigan)のプラマー教授(J.M.Plumer)だった。その後、中国の研究者によって調査が続けられ、2016年ごろから地元政府が伝統産業の復活を目指して支援を始めた。

 なかでも期待されているのが、建盞の修復作業だ。地元では修復師の黄曙亮(Huangxiaoliang)さんが発掘された建盞の破片をつなぎ合わせて修復作業に取り組んでいる。

 黄さんは「修復には、長い時間と忍耐力、注意力、根気強さが必要です。しかし、近年は新しい修復素材や修復技術が次々に開発されているので、これまで以上に創造性を加えて、古い器を蘇らせていきたい」と話す。完全な形で発掘される茶碗は少ないため、原型を想像しながら破片をつなぎ合わせる修復作業には忍耐だけでなく創造性も必要なのだ。黄さんが特に期待するのは中国で建盞を愛でる茶の湯文化が復活することだという。

 中国で抹茶法による茶の湯が廃れた理由には諸説あるが、戦乱が続き、抹茶の複雑な製法が時代にそぐわなくなったことも要因の一つとされる。茶の湯を楽しんだ北宋の皇帝、徽宗の治世、中国では『水滸伝』のモデルとなった宋江の乱など悪政に苦しむ農民たちの地方反乱が続いた。徽宗は「茶の湯の気高く静かな風流は、騒乱の時世に尊ばれることはないだろう」と嘆いたといわれる。

 茶の湯が尊ばれる平和な時代を望んでやまなかった北宋の皇帝。その皇帝としての功罪はともかく、現代の抹茶ブームや建盞の修復を知ったら、きっと喜ぶに違いない。(c)東方新報/AFPBB News