【3月23日 Xinhua News】ロシアのモスクワ南東にあるカリトニコフ墓地に建つ黒い墓碑。表には胸に勲章を着け優しい笑みをたたえた老人の姿が、裏には雄壮な橋が刻まれている。

 ここにはソ連の橋梁専門家で、中国から「人民友好使者」の称号を授与されたコンスタンチン・シリン氏が眠っている。墓碑の裏に刻まれた橋は、ソ連の中国支援事業で建設され、シリン氏が総設計師(チーフデザイナー)として設計と建設に関わった「長江第一橋」の武漢長江大橋だ。

 同橋をきっかけに、70年近くにわたり続いてきたシリン家の人々と中国との縁が始まった。

 記者がシリン氏の家族を訪ねると、長女のエレナさん(76)と次女のアンナさん(68)が温かく迎えてくれた。

「父と中国との関わりは古く、今も続いている」とエレナさんは目の前の出来事のように生き生きと語った。

 シリン氏は1948年、ソ連の橋梁専門家として中国東北部に派遣され、鉄道と橋の建設に携わった。49年には中国鉄道部の顧問となり、成渝鉄道(四川省成都-重慶)や天蘭鉄道(甘粛省天水-蘭州)、蘭新鉄道(蘭州-新疆ウイグル自治区阿拉山口市)の建設に関わった。54年、ソ連政府は武漢での橋の建設を支援するため28人の専門家からなるチームを派遣。シリン氏は57年9月に橋が完成するまでチームのリーダーを務めた。この間、エレナさんとアンナさんは、両親と共に中国で暮らした。武漢長江大橋は後に、シリン氏にとって生涯で最も誇れる作品となった。

 中国に来た当初、わずか生後1カ月だったアンナさんは、大人になって、父親の跡を継いで橋梁専門家となった。

 シリン氏と共に武漢長江大橋の建設に尽力した趙煜澄(ちょう・いくちょう)氏はかつてシリン氏について、衣食住にはこだわらなかったが仕事には非常に真面目で厳格であり、「真の共産主義と国際主義の精神を備えた人」だったと回想している。

 シリン氏の貢献をたたえ中国国務院は、周恩来(しゅう・おんらい)総理が署名した感謝状を授与した。武漢長江大橋の記念碑には、シリン氏を含む28人のソ連の専門家の功績が金銅の文字で鋳造されている。中国人民対外友好協会は95年、シリン氏に「人民友好使者」の称号を授与した。

 アンナさんは「父は中国に対して、非常に特別な思いを抱いていた。中国から戻って来るとき、父のまなざしと表情はいつも喜びに満ちていた。父は中国の人々を深く愛していた」と語った。

 シリン氏は生前、自分の子や孫が中国語を学び、両国の友好のための仕事を受け継ぐことを望んでいた。この願いを実現するため、エレナさんの娘のエカテリーナさんは、モスクワ国立大学在学中に中国語を選択し、祖父と中国の縁を引き継いだ。

 エカテリーナさんは中国で研さんを重ね、流ちょうな中国語を話す。現在はモスクワ大学とロシア国立人文大学で中国の地理、文化、経済関連のコースを受け持ち、学生と中国の橋渡しをしている。

 一つの橋が結び続ける二つの国の縁。シリン家の人々は、中国とロシアの人々の友情を見つめてきた。エカテリーナさんは「中国の要素はわが家の暮らしのあらゆる面に浸透している。私の子どもたちにも、この真摯な中国への思いを受け継いでいってほしい」と語った。(c)Xinhua News/AFPBB News