【3月16日 People’s Daily】2022年北京冬季五輪の開会式で、中国河北省(Hebei)阜平県(Fuping)から訪れた「馬蘭花児童合唱団」がオリンピック賛歌を歌うと、世界には感動が広がった。太山山脈の奥深くから44人の児童を連れてきたのは、「鄧先生」こと鄧小嵐(Deng Xiaolan)さんだ。

 鄧さんは抗日戦争の時代に生まれ、阜平県の村で生まれ育った。成人後は村を離れて勉学や仕事に励んだが、心の中ではいつも阜平のことを気にかけていた。

 2003年、鄧さんは阜平県馬蘭村に墓参りに訪れた際、馬蘭小学校の児童たちがお墓掃除をしていた。感心した鄧さんは「一緒に歌を歌いましょう!」と声をかけたが、誰も歌うことができなかった。阜平県は当時、貧困地区で、子どもたちが音楽を学ぶ環境がなかった。

 鄧さんは北京に戻った後、馬蘭の子どもたちの顔がずっと脳裏に浮かんでいた。「音楽は人の心を開くカギ。歌のない子ども時代は寂しい」。鄧さんは退職後、すぐに馬蘭村に来てボランティアの教師を務めた。そして18年を費やして、音楽を通じて子どもたちを育てていくことになる。

 馬蘭村の学校は老朽化しており、資金を集めて教室を改装。さらに鄧さんのかつての同僚や友人から多くの楽器を集め、小さな子ども楽団を作り、歌と演奏の魅力を伝えた。

 阜平県で政府の脱貧困政策が実施されるようになると、馬蘭村の生活も一変。新しい建物が次々と建っていった。鄧さんは教育のかたわら、村人とともにトイレを改修し、植林を行い、道路を整備し、生活環境を改善した。

 2013年8月、鄧さんは馬蘭村で「馬蘭子ども音楽祭」を開催。村の子どもたちが各地から訪れる芸術団体と一緒にステージで演奏し、合唱した。そして音楽祭が評判になっていき、北京冬季五輪の関係者の目にとまり、開閉開式のステージが実現した。

 2022年の早春、鄧さんは亡くなった。しかし、村人たちの心の中で鄧さんは生き続けている。馬蘭村の音楽広場では、鄧さんが子どもたちに教えた歌が演奏され、村は今も美しく変化を遂げている。

 1990年代生まれの孫志雪(Sun Zhixue)さんは、馬蘭村で最初に勉強を学んだ世代だ。子どもの頃に鄧さんから音楽を学び、大学院で音楽教育を専攻した。「以前からずっと、音楽教育を生涯の仕事にしたいと思っていました。鄧先生は私の理想です」

 孫さんは昨年の夏、馬蘭村に戻って鄧さんの後を継いで子どもたちに音楽を教え、新しい「馬蘭子ども音楽祭」を準備している。「山間の小さな村で鄧先生は一筋の光のような存在で、私たちを夢に導いてくださいました。私も彼女のようにこの地に根ざし、音楽を通じて子どもたちの成長を手伝いたいと思います」。孫さんは笑顔を浮かべてそう話した。(c)People’s Daily/AFPBB News