【3月15日 AFP】ルネサンス美術の象徴、レオナルド・ダビンチ(Leonardo da Vinci)が、カフカス(Caucasus)地方から連れてこられた奴隷女性とイタリア人男性との子どもだったとの新説が14日、発表された。

 ダビンチは1452年、伊フィレンツェ(Florence)郊外の田舎で生まれ、国内各地で暮らした。1519年にフランス国王フランソワ1世(King Francis I)の招待でアンボワーズ(Amboise)滞在中に死去した。

 母親は長年、伊トスカーナ(Tuscan)地方の小作農だったと考えられてきた。しかし、ナポリ東洋大学(UNIOR)のカルロ・ベッチェ(Carlo Vecce)教授は、実際はもっと複雑だったと指摘する。

 ベッチェ氏は自らの研究を元に執筆した小説の発売に合わせた記者会見で、「母親はカフカス山脈から連れてこられたチェルケス(Circassia)人奴隷だった」「コンスタンチノープル(Constantinople、現イスタンブール)やベネチア(Venice)で何度か売られた後、フィレンツェに来た」と述べた。

 母親はフィレンツェで公証人として働くピエロ・ダビンチ(Piero da Vinci)と出会い、「レオナルドという名の息子」をもうけたという。

 長年ダビンチを研究し、展覧会でのキュレーションも担当してきたベッチェ氏は、フィレンツェ市の公文書館に保管されている文書を調べ、今回の発見に至った。

 同氏が見つけた文書には、ダビンチの父親が書いたものが含まれている。その中で父親は、ダビンチの母カテリナ(Caterina)の自由と人間の尊厳を回復するため、奴隷の身分からの解放を法的に求めていた。

 1452年付のこの文書は、14日にフィレンツェの出版社ジュンティ(Giunti)本社で行われた記者会見でも公開された。

 ベッチェ氏は会見で、「まだ奴隷だったカテリナを愛し、子どもをレオナルドと名付け、解放を支援した男性」によって書かれたものだと強調した。

 これらの発見を下敷きに小説「The Smile of Caterina, the mother of Leonardo(レオナルドの母カテリナのほほえみ)」が執筆された。

 これまでダビンチは、ピエロとトスカーナの小作農カテリナ・ディメオリッピ(Caterina di Meo Lippi)との婚外子だったとされていた。今回の研究はダビンチの来歴を大きく変える可能性がある。(c)AFP/Gildas LE ROUX