【3月11日 Xinhua News】銅の鋳造技術が専門化した漢代には、地域や青銅器の種類によって青銅の材料の供給体制が異なっていたのだろうか。中国科学技術大学の研究チームがこのほど、漢代の青銅器の材料となる鉛の産地の研究で新たな進展を遂げ、この疑問に答えを出した。

 同大の研究チームは、山東省青島市の即墨(そくぼく)古城、江蘇省淮安市盱眙(くい)県の大雲山漢墓、福建省武夷山市の閩越(びんえつ、福建地方)王城などの遺跡から出土した前漢初期~王莽(おう・もう)の新王朝時代(紀元8~24年)の銅器について、合金組成成分と鉛同位体の分析を行った。器物の種類は銅容器、車馬器、兵器、銅鏡、銭範(せんぱん、鋳銭用の鋳型)、貨幣、度量衡器などで、過去に公表された中国と日本で出土した漢代の青銅器の鉛同位体データと合わせ、前漢時代のさまざまな時期の青銅器に使われた鉛材料の産地の問題を総合的に検討した。

 中国は秦・漢代に鉄器時代に入り、青銅器は衰退期を迎え、儀式用の器としての機能を次第に失っていったが、社会生活ではなお、広く使われていた。

 分析の結果、前漢時代の青銅器に使われた鉛はいずれも一般的な鉛で、はっきりとした地域差は見られなかったが、前漢時代の前期から中・後期にかけて、鉛材料の集中化傾向が明確に現れた。初期の青銅器に使われた鉱物材料はさまざまな産地のものが混在していたが、前漢中・後期にかけてほぼ同一の産地に集中し、長安地域の漢鏡や日本の前漢鏡の鉱物材料とほぼ一致した。

 研究チームによると、青銅器の鉱物材料の変化は、前漢中期の経済政策の転換と関連している可能性が高い。この時期、経済を安定させ、外敵の侵略に抵抗するため、漢の武帝は「塩と鉄の官営」政策を実施。重要な金属鉱物資源の採掘権を国有化し、青銅器の生産も中央政府の統一管理下に置いた。その結果、東部沿岸の諸侯国と長安で生産された銅器の鉛同位体が同じ特徴を示すことになった。

 研究チームは、各地の鉛産地の鉛同位体の核密度分布図を比較し、前漢中・後期の鉛材料が河南省西部の小秦嶺地域で産出された可能性があることを発見した。同地域は長安と洛陽の間に位置し、国が鉱物資源を管理・分配するのに利便性が高い。研究チームのメンバーで、同大の科学技術史・科学技術考古系修士課程の院生、楊冬宜(よう・とうぎ)氏は「前漢時代における青銅器の鉛同位体比の変化から、自由経営から国家独占へと転換していった前漢王朝の経済政策が見て取れる」と語った。

 同研究は、同大と中国人民大学、山東大学、大英博物館、南京博物院、平度市博物館、閩越王城博物館が協力して行った。研究成果はこのほど、考古学分野の国際学術誌「アーキオロジカル・アンド・アンソロポロジカル・サイエンシズ」に掲載された。(c)Xinhua News/AFPBB News