【2月15日 Xinhua News】中国陝西省(Shaanxi)考古研究院はこのほど、同省韓城市(Hancheng)にある両周時代(西周・東周)の大型遺跡「陶渠(とうきょ)遺跡」について、発掘調査結果と史料の記載を重ね合わせた結果、西周末期から春秋初期にかけて存在した周王朝重臣の領地、「京」邑の所在地だと暫定的に判断したと発表した。

 遺跡は芝陽鎮にあり、1980年代に発見された。陝西省考古研究院が2020年5月に韓城市文化・旅游局と合同で調査と発掘を開始。これまでに遺跡の年代や配置、構造、内容などがほぼ明らかになった。両周時代の遺跡面積は約80万平方メートルで、高位者住居エリアや平民居住エリア、大・中型墓葬エリア、中・小型墓葬エリアなどが確認されている。

 同研究院の耿慶剛(Geng Qinggang)副研究館員によると、出土した「甲」字型大型墓7基はいずれも深刻な盗掘被害を受けていた。うち、M16号墓は全長36・6メートルと最も大きく、玉製葬具「玉覆面」の破片が出土した。「甲」字型大型墓や車馬坑の盛り土からは、板瓦や筒瓦、土器片、灰釉陶器片、骨器なども大量に見つかった。

 いずれの墓道にも、数は異なるものの車馬が埋められていた。M16号墓で見つかった1号車の車内からは銅戈(どうか)が2点出土し、いずれも銘文に「京」字があった。3号車からは銅鈴(どうれい)3点と小型の銅罐(どうかん)1点が出土した。多くの学者はこれまで、同遺跡が春秋時代の梁国の遺跡だと考えていたが、耿氏は、墓の年代や埋葬制度、埋葬習慣、「京」字の銘文などから総合的に判断し、西周末期から春秋初期にかけての京邑の遺跡と判断したと説明した。

 京邑の領主とされる京氏は嬴(えい)姓で、東方に起源を持つ一族とされる。両周時代の京氏にまつわる器物は宋代以降に10点余り見つかっており、西周の金文(青銅器に鋳込まれた文字)にも「京夷」「秦夷」などの記載が見られる。同遺跡は、関中地域(陝西省中部の渭水盆地一帯)で数少ない両周時代の封邑(領地)遺跡であり、周代の分封(封建)制度や政治地理、「夷夏融合」などの問題を研究する上で高い学術的価値を持つ。(c)Xinhua News/AFPBB News