【2月6日 AFP】インドネシアの首都ジャカルタで、アリ・サガさんが病院に入ると、職員や順番待ちをしていた患者はサガさんから急いで距離を取った。40年前のことだ。

「離れろ! この患者はらい病だ!」──医師が突然、他の患者に向かって叫んだ。サガさんが忘れられない、人生で最もつらかった出来事の一つだ。

 1970年代にハンセン病と診断され、現在57歳となったサガさんはこう語る。「(医師らは)私の皮膚を検査するために乱暴に注射器を使い、私は泣いた。私の皮膚は何も感じないかもしれないが、私の心は痛んだ」と涙をこらえた。

 過去の痛みを糧に、サガさんは現在、ハンセン病元患者数百人が住むジャカルタ近郊シタナラ(Sitanala)村に暮らしながら、他の住民に普通の生活をしてもらいたいと義肢製作に励んでいる。

 ハンセン病は細菌性疾患で、治療を受けていない患者との頻繁な接触により感染する。インドネシアは、ブラジルとインドに次いで症例数が多い。

 インドネシア保健省によると、治療中の患者は1万5000人を超え、昨年確認された新規感染者だけで1万1000人以上に上る。

 ハンセン病は古くからある病気だが、現在では皮膚の生体検査で診断でき、多剤併用療法で容易に治療できる。

 だがサガさんをはじめシタナラに暮らす住民は、長年社会から疎外されてきた。地元メディアは村を「らい病患者の集落」と呼んだ。インドネシアでは今も、ハンセン病は神の呪いであり、軽微な接触でも感染すると一部で信じられている。

 サガさんは2005年から義肢製作を始めた。小さな作業室の白い壁にはさまざまな義肢が掛けられている。

 サガさんの義肢を使っている住民の一人、仕立屋のクン・サンさん(70)は、10代で片脚を切除し、もう片方は2007年に失った。「もう二度と歩けないと思っていた。でも普通に歩けるようになり、とても感謝している」と話した。