【2月2日 Xinhua News】中国江蘇省(Jiangsu)の蘇州博物館西館には、鳥の頭をかたどった精巧な金釵(きんさい、金のかんざし)が展示されている。長さ25センチ、重さ25・5グラムで、つがいの鳥が短いくちばしを寄せ合っており、広げた翼の下は丸みを帯びた羽がある。興味深い点は互いに長い首を曲げてハート形を作っていることだ。このかんざしは、2017年に蘇州市虎丘路にある東呉(三国の呉)の大規模家族墓から出土した。南京大学歴史系の賀雲翺(He Yunao)教授によると、これまでに見つかった中で最も精巧な作りをした東呉の金器であり、後漢から三国時代にかけての高度な金器制作技術を象徴しているという。

 このかんざしは、誰の持ち物で誰が飾ったのだろうか。また、背景にどのような物語があったのだろうか。専門家は、呉の名将、孫策(そん・さく)とその妻、大喬(だいきょう)に関係があるとみている。

 西暦195年、孫策が江東(長江下流南岸)に拠点を構えると、盟友の周瑜(しゅう・ゆ)は兵を起こしてこれに呼応し、孫策の勢力拡大に協力した。

 建安4(199)年、二人は皖県(かんけん、現在の安徽省潜山県)で「喬公(三国志では「橋公」)の二人の娘」と出会い、孫策は姉の大喬を、周瑜は妹の小喬を妻とした。

 しかし、この幸せは長くは続かず、孫策は翌年、暗殺されてこの世を去った。孫策がどこに埋葬され、大喬が孫策の亡き後どうなったのか、史料には何も書かれていない。

 2016年、蘇州市虎丘路にある団地でインフラ工事が行われた際、高さ11メートルの土墩墓(どとんぼ、盛り土をした墓)の下から古い墓が見つかった。同年7月から18年4月にかけて行われた蘇州市考古研究所による発掘調査で、異なる時代の墓9基が見つかり、うち4基は東呉の同じ家族のものであることが分かった。

 発掘調査を指導した同研究所の張鉄軍(Zhang Tiejun)研究館員によると、家族墓のうち最大規模かつ最も格式の高い1号墓の被葬者は孫策の可能性があるという。

 1号墓の隣にある2号墓は妾室が埋葬された場所と推定され、遺物が計83点(組)出土した。硯滴(けんてき、硯用の水差し)、香薫(香炉)、熨斗(アイロン)など青銅製の日用品のほか、青磁の耳杯(じはい)、銀食器、金メッキを施した銀製の銅鏡架、金メッキの五銖銭(ごしゅせん)、精巧な金の指輪、腕輪、かんざし、琥珀(こはく)の連珠状の装飾品、躍動感のある竜の頭をかたどった金のかんざし、そしてこの鳥の頭をかたどったハート形の金のかんざしなどが見つかった。

 割れたレンガや黄土の中から、自らの手でかんざしなどの金の装飾品を取り出した張氏は、これらの遺物が孫策と大喬に関係がある可能性が高いと指摘。「三国時代前夜の戦火の中で、墓の被葬者が美しい感情を理想としていたことを示している」と感慨深げに語った。(c)Xinhua News/AFPBB News