【1月21日 Xinhua News】中国社会科学院考古研究所の洛陽漢魏城チームはこのほど、河南省洛陽市にある漢魏洛陽城宮城遺跡で北魏時代の倉窖(そうこう、倉庫)跡を多数発見したと発表した。これまでに確認された240カ所は、いずれも北魏皇室の府庫(ふこ、文書や財物を保管した蔵)と見られる。漢魏洛陽城で貯蔵用建築跡が見つかったのは初めてで、すでに存在が確認されている古代の倉庫の中で最も高い等級になる。

 同チームを率いる劉濤(Liu Tao)チームリーダーによると、チームは昨年、宮城内の建築配置をさらに調査するために宮城東壁の発掘を継続。壁の内側で半地下式の大型倉窖跡3カ所を発見した。倉窖の直径は約11メートルで、深さは約7メートル。入り口部分と側壁は崩落していた。さらに調査を進めると、区域内には南北24列、各列10カ所ずつの計240カ所の倉窖が規則正しく並んでいたことが分かった。おおよその分布配置は、西が司馬門内大路、南が東掖門内大道、北が永巷、東が宮城東壁の内側だった。

 劉氏は「漢魏洛陽城内で貯蔵用建築跡が見つかるのは初めて。数が多いだけでなく、宮城の内側であり、等級も高い」と説明した。

 研究の結果、宮城内には東西約150メートル、南北約600メートルの独立した倉窖区があったことが分かった。区域は土を突き固めた版築(はんちく)の壁で囲まれ、北には役所などの建築遺構もあることから、北魏皇室の府庫の一部だと見られる。劉氏は「国内で初めて考古学的確証が得られた宮城内倉窖区であり、等級の最も高い古代の貯蔵用建築物でもある。今回の発見は古代の都城の形状や配置、貯蔵施設遺構に関する研究の内在的価値を大いに高めた」と語った。

 倉窖底部からは少量の炭化植物の遺物も見つかった。劉氏は「現存する資料の分析に基づけば、これらは倉窖に貯蔵していた穀物などで、全国各地から運河を使って北魏の都城に運ばれ、ここに貯蔵されたと考えられる」と説明。引き続き区域内にある倉窖などの建築遺構で体系的な発掘調査を行い、年代や形状の変遷を明らかにしていく考えを示した。

 漢魏洛陽城は西周時代に築造されて以降、各王朝が1500年余りにわたり使用した。都城としての期間は600年に及び、歴史的にも文化的にも豊かな内容を備えている。発掘作業と研究作業は現在も続けられている。(c)Xinhua News/AFPBB News