化学・生物・放射能戦の訓練を受けるジン(写真=「ザ・キャンプ」キャプチャー)(c)NEWSIS
化学・生物・放射能戦の訓練を受けるジン(写真=「ザ・キャンプ」キャプチャー)(c)NEWSIS

【01月08日 KOREA WAVE】韓国の人気グループ「BTS(防弾少年団)」のJIN(ジン)が入隊した京畿道(キョンギド)漣川郡(ヨンチョングン)の韓国陸軍第5師団に注目が集まっている。

第5師団は中部戦線最前線を守護する任務を担う陸軍第5軍団隷下部隊。朝鮮戦争でも華々しい功績を立てた別名「メーカー部隊」だ。

現在、漣川地域一帯を管轄する第5師団は、戦車・工兵大隊など師団直轄隊とともに第27・35・36歩兵旅団、砲兵旅団で構成されている。このうち27・36旅団は一般前哨(GOP)に投入される「最前方部隊」だ。

第5師団の象徴的な名称は「上昇鍵部隊」、部隊の象徴は「鍵」。ここで「鍵」は「統一の扉を開く鍵」を意味する。また、師団敬礼のスローガンは「団結」。過去の一時期は「団結!やればできる!」という長いスローガンを使ったりもした。

◇「天下無敵師団」

第5師団は朝鮮戦争勃発前の1948年4月29日、京畿道で第5旅団として創設された。最初の指揮官はロシア帝国軍出身で、第一次世界大戦にも参戦したことのあるキム・サンギョム大佐だった。以後、第5旅団は駐屯地が光州(クァンジュ)に変わり、1949年5月12日には「師団」に昇格した。

1947年には「済州(チェジュ)4・3事件」と1948年には「麗水(ヨス)・順天(スンチョン)10・19事件」鎮圧などに動員された。1950年6月25日の朝鮮戦争勃発後にはソウルに転戦し、北朝鮮軍の南下を食い止める作戦に参加した。

この過程で兵力の犠牲が増え、師団はいったん解体された。

だが同年10月8日、大邱(テグ)で再創設した第5師団は、その後、数多くの戦闘で北朝鮮軍を圧倒し、功績を立てた。

第5師団は1951年8~9月、江原道(カンウォンド)楊口(ヤング)一帯で起きた「血の稜線戦闘」の時、米軍第2歩兵師団とともに戦い、北朝鮮軍の2師団を破った。この戦闘は朝鮮戦争史上、単一戦闘で最大成果を上げたものと記録され、勝戦報に接したイ・スンマン(李承晩)大統領(当時)は第5師団に「天下無敵師団」という称号を付与した。

◇かなり厳しい訓練

第5師団は1951年9~10月の「加七峰戦闘」でも北朝鮮軍を相手に勝利し、1952年7~11月には「東海岸高城地区戦闘(351高地戦闘)」でも勝利。江原道戦線を北方に押し上げた。この戦線は現在、江原道に引かれた休戦ラインの一部となっている。

第5師団は1953年5月の「楊口三角峰地区戦闘」、7月の「華川白岩山戦闘」でも功を奏し、同年12月から翌年5月までは智異山パルチザン討伐作戦にも投入された。

第5師団は以後、1954年には江原道鉄原、1960年には京畿道抱川、1971年には京畿道楊平に駐屯地が変わり、1978年現在の駐屯地である漣川に定着した。

第5師団は当初、第6軍団隷下部隊だったが、第6軍団が今年11月末に解体され、第5軍団に所属が変わった。

第5師団に服務したある予備軍は「戦前に創設され、歴史が深く、戦争での勝利経験も多数ある。この点で、第5師団の将兵たちは自負心を持っている。現在も最前線を守り、訓練もかなり強度が高いため、『キツイ部隊』という点は明らかだ」と話した。

◇車椅子に似たマーク

鍵の形をした第5師団のマークについて「車椅子とも似ている」という話が出ているのもこれと関連がある。将兵たちは「訓練中に怪我をして車椅子に乗る人が多くて」と自嘲混じりの冗談を言ったりする。

こうした第5師団には「有名人」も多く輩出された。

歴代師団長名簿にはペク・ソンヨプ将軍や、大統領を務めたパク・チョンヒ(朴正熙)氏、チェ・ミョンシン将軍らが含まれている。最近では俳優ピョン・ヨハン、シン・ジェハ、イ・ジャンウ、歌手Rain(ピ)、2PMメンバーのファン・チャンソンらも5師団で服務したり訓練を受けたりした。

JINは5週間の基礎軍事訓練を受けた後、師団に配置される。服務期間中に転出命令を受けない限り、除隊予定日である2024年6月12日までの1年6カ月間「第5師団勇士」として活動する。

(c)news1/KOREA WAVE/AFPBB News