「明日死ぬかもしれない」 ウクライナ南部ヘルソン
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【11月28日 AFP】ウクライナ南部ヘルソン(Kherson)の溶接工のアンドリー・クリボフさん(49)は、妻となる女性に結婚の誓いの言葉をささやきながら、自分が死んだ後の世界について思いをはせた。
ロシア軍は11日、南部前線の要だったヘルソンから撤退した。
質素な衣装を身に着けた二人が、ウクライナ正教会の司祭の前で誓いを交わしている間も、がらんとした大聖堂にはウクライナ軍が砲弾を発射する音が響いた。ロシア軍もドニエプル(Dnieper)川東岸から反撃してきた。
クリボフさんは、人生の大半を共に過ごしてきた看護師のナタリアさんとついに結婚した。2人の間にはすでに3人の子どもがいる。「明日死ぬかもしれない」と話す。
「ヘルソンはいまや前線の一部となった。爆撃が始まった時、夫と妻として神の前に立ちたい」
■泥棒集団
リディア・ベロワさん(81)は、かつて養鶏場を営んでいた。泉からホースで引いてきている水をプラスチック容器にくむため、辛抱強く順番を待っている。
ロシア軍は撤退に伴い、電気・水道などのインフラを破壊していった。
ロシア軍は占領していた8か月の間、商店から略奪し、抵抗を示した市民を拘束していたと話す。
ロシア軍を少しとはいえ後退させることができたのだから、苦労したかいがあったと考えている。
「自由は常にもっと重要だ」「水は大した問題ではない。並べば済む。でも、ウクライナは私たちが守らなければならない」と語った。
クリボフさんとナタリアさんが式を挙げた大聖堂には、ロシア皇帝エカテリーナ2世(Catherine II)の下で活躍した軍人グリゴリー・ポチョムキン(Grigory Potemkin)の遺体が安置されていた。
ドニエプル川沿いの新しい領地を視察に来たエカテリーナ2世のため、偽の村をつくったことで知られている。
だが、ヘルソン市民はポチョムキンを、街の創設者として敬意を払ってきた。大聖堂のアンドリー長輔祭は、ポチョムキンの遺体を見守るという自らの職務を誇りに思っていた。
今、遺体はここにはない。
「銃を持ったロシア兵が来て、持って行ってしまった」と話す。
「二つの世界大戦を経験し、ナチスと神を知らぬ共産主義者も来たが、ポチョムキンに触れた者はいなかった」と怒りをあらわにした。
ロシア軍は撤退時、ヘルソン各地にあったポチョムキンの像や遺物を持ち去った。
「自分たちの遺産を持って帰りたかったのかもしれない」「でも、自分たちが泥棒集団以外の何物でもないということを示しただけだ」 (c)AFP/Dmitry ZAKS