ツタンカーメンの墓発見から100年 財宝と王にまつわる五つの事柄
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■謎めいた死
ツタンカーメンが王位に就いた頃はアマルナ(Amarna)時代として知られ、アメンホテプ4世が抜本的な宗教改革を試みたこともあり、混乱していた。
ツタンカーメンは異母姉妹のアンケセンパートン(Ankhesenpaaten)と結婚したとされるが、専門家によると、2人の間にできた娘はいずれも死産した。
エジプト史で新王国時代として知られる第18王朝は、ツタンカーメンの死によって終わりを迎えるが、死因は謎のままで、戦車での事故、病気、または暗殺など、さまざまな説がある。
■ツタンカーメン王の「呪い」
1922年の墓の発見から数か月後、調査に出資していた英国のジョージ・カーナボン(George Carnarvon)卿が感染症で死亡したことから、ツタンカーメンの墓を暴いた人々が「ファラオの呪い」をかけられたという説が盛んに唱えられるようになった。
ツタンカーメンの「呪い」については、英ミステリー作家のアガサ・クリスティ(Agatha Christie)も短編「エジプト墳墓の謎(The Adventure of the Egyptian Tomb)」で取り上げている。(c)AFP