ウクライナ女性捕虜、収容経験語る 4歳娘の安否分からず5か月
このニュースをシェア
【10月31日 AFP】ウクライナの従軍看護師ビクトリア・オビジナさん(26)は、5か月にわたりロシア軍に拘束された。汚れた水を飲まされ、暴力を振るわれ、飢えにも耐えなければならなかった。
だが、最もつらかったのは、4歳だった娘の安否がずっと分からないことだった。
オビジナさんは先月中旬、捕虜交換により解放された。10月24日にAFPのインタビューに応じ、ロシアの支配下にあるウクライナ東部オレニフカ(Olenivka)収容所での体験を語った。
6人用の監房に約20人の捕虜と共に詰め込まれていたという。「(看守は)湖から水をくんできたが、時々、小魚が入っていた」「8月に入ると藻の味がした」
ロシアが2月24日にウクライナに侵攻すると、南東部マリウポリ(Mariupol)で従軍看護師をしていたオビジナさんは、アゾフスターリ(Azovstal)製鉄所に派遣された。製鉄所では数百人の兵士が、旧ソ連時代に造られた地下トンネルに立てこもって戦いを続けていた。
当初、娘のアリサちゃんはシッターとアパートにとどまっていた。だが、包囲されたマリウポリで食料は底を尽き始め、ロシア軍が絶え間なく砲撃してくるようになったため、娘を製鉄所に連れて来た。苦渋の決断だった。
「私たちがやらなければ、負傷者を看護する人がいないことは分かっていた」
地下壕(ごう)でアリサちゃんは、仕事を手伝ってくれた。「とてもしっかりしていた。私の邪魔をしてはいけないとよく分かっていた」「薬を配るのも手伝ってくれた。どの薬を誰に渡すのか伝えると、その通りにしてくれた」
しかし、アリサちゃんも絶望する時があった。ある時は「ママ、きょうが私たちの最後の日?」と聞いてきた。「もちろんそんなことはないし、私たちは生き延びて何もかもうまくいくからと伝えた。でも、私も砲撃は怖かった」と話す。
製鉄所である兵士が、暗い地下壕で本を持ったポニーテールの少女が家に帰りたいと訴える動画を撮った。アリサちゃんだった。
動画はインターネットで拡散された。マリウポリを制圧後にロシアに対し、製鉄所にいる民間人を退避させるよう国際社会から圧力が形成されるのに一役買った。だが、この動画がオビジナさんの運命を変えた。
オビジナさんとアリサちゃんは5月、国連(UN)が主導しやっと実現した合意に基づき、民間人の一団と製鉄所を出た。
だが、ロシア軍が動画に出ていた2人に気付き、オビジナさんは拘束された。アリサちゃんは他の避難者に預けた。
ロシア軍から「子どもは孤児院に送られ、私は収容所に連れていかれると言われた」と話す。
オビジナさんによると、ロシア軍はウクライナ軍に関する情報を得るため暴力を振るった。収容所にいる間は娘の安否も、自分がこれからどうなるのかも全く分からなかった。
オビジナさんは10月中旬、他の女性捕虜と共にロシア南部タガンログ(Taganrog)に移送された。別の収容所に移されるのだと思った。両手を縛られ、目隠しをされ、飛行機に乗せられた。
バスでウクライナの支配地域に入ってやっと、捕虜交換なのだと気付いた。
遠い親戚とボランティアの助けにより、アリサちゃんがポーランドに住む祖母の元にいると知り、電話で話すことができた。10月で5歳になったアリサちゃんは、ポーランドで保育園に通い、ポーランド語を学んでいた。
オビジナさんは拘束中に体重が10キロ減った。現在はドニプロ(Dnipro)の病院で精神面のリハビリを受けている。除隊し、娘のために生きたいと思っている。(c)AFP/Oleksandr Khoroshun