【10月9日 Xinhua News】中国江蘇省(Jiangsu)揚州市(Yangzhou)文物局はこのほど、隋煬帝(ようだい)陵考古遺跡公園の主要建築がほぼ完成し、来年4月に開園すると発表した。

 同局の徐国兵(Xu Guobing)副局長によると、公園の環境整備・景観造成プロジェクトの実施面積は10・74ヘクタールで、総投資額は1億5千万元(1元=約20円)。隋煬帝陵を中心に、中央部に方形の墓葬遺跡の保護施設と中軸線広場を配置する。園内は墓葬展示エリアや歴史背景解説エリア、出土文化財展示エリアなど八つのテーマ機能エリアに分かれている。

 煬帝の墓室は方形の磚(せん、れんが)墓室で、そのすぐ隣の腰鼓(ようこ)形の磚墓室には煬帝の妻、蕭皇后が埋葬されていた。2基の墓はいずれも主墓室と東西の耳室、甬道(ようどう)、墓道の五つの部分で構成されている。徐氏は二つの墓の形状の違いについて、埋葬時期の違いと思われるが、異なる地域の文化風習の違いも影響している可能性があると指摘した。

 実際に目にした煬帝の墓室は、長さが6メートル余り、幅が8メートル余りしかなく、ややみすぼらしさを感じた。考古学専門家によると、この「みすぼらしさ」は煬帝の死因と幾度かの改葬と関係しているという。煬帝は618年、謀反を起こした臣下の宇文化及(Yuwen Huaji)に絞殺され、慌ただしく埋葬された。その後幾度も改葬され、最終的に揚州の曹荘に埋葬された。648年に病没した蕭皇后も唐の皇帝(隋は618年に滅亡)の勅命により同地に埋葬された。墓の出土状況は歴史的事実と基本的に一致している。

 揚州市文物考古研究所の専門家、薛炳宏(Xue Binghong)氏によると、煬帝墓では2013年の発掘開始以来、墓誌や玉器、銅器、陶器、漆器など貴重な文化財400点(組)余りが出土した。十三環蹀躞金玉帯(じゅうさんかんちょうしょうきんぎょくたい)や鎏金銅舗首(りゅうきんどうほしゅ)、玉璋(ぎょくしょう)、銅編鐘(へんしょう)、編磬(へんけい)など研究価値が極めて高い皇室副葬品も多く出土し、隋末唐初の埋葬制度の変遷を研究する上での詳細な資料となった。遺跡公園が開園すると、これらの文化財も展示される。(c)Xinhua News/AFPBB News