【9月24日 Xinhua News】中国湖南省(Hunan)益陽市(Yiyang)の兔子山遺跡から出土した簡牘(かんどく、文字を記した竹札と木札の総称)のうち3枚は、後漢献帝の建安年間(196年~220年)に穀物を穀倉に収め、配布した状況が記録されており、形が全く同じで、「入庫伝票」2枚と「出庫伝票」1枚に分かれていることが明らかになった。考古学専門家は、中国で発見された最古の「三聯単(三枚つづりの伝票)」とみている。

 2013年に兔子山遺跡が発掘されて以降、発掘調査チームを率いる湖南省文物考古研究院の張春竜(Zhang Chunlong)研究員は、同遺跡から出土した簡牘の体系的な研究を続けており、このほど、その研究成果を明らかにした。

 これらの簡牘3枚は、兔子山遺跡の6号井から出土。洗浄の結果、「入庫」伝票と確認された2枚は、完全に切断されておらず、「入掾胡盛平斛品米三斛五斗二升六合 建安十九年二月二日付 倉嗇夫文 熊受」の文字が読み取れた。もう1枚は「出庫」伝票と確認され、「出掾胡盛平斛品米三斛五斗二升六合 建安十九年二月二日付 倉嗇夫文 熊受」の文字が読み取れた。

 計測したところ、それぞれの長さは24・7センチ、幅1・1センチ、厚さ0・5センチ、水分を含む重量は47・6グラムだった。

 考古学専門家の解釈によると、「建安」は後漢末の献帝の年号であり、「熊」は担当者、「倉嗇夫文(そうしょくふ・ぶん)」は「文」という名前の倉庫管理者を意味する。彼らは共同で担当した穀物の入庫を完了させ、記録した。「胡盛」は穀物の受取人、「掾(えん)」はその人の官職で、「平斛(へいこく)」は当時の穀物計量方法を表しているという。

 張氏は「これは中国で発見された最古の『三聯単』の実物であり、後漢時代の益陽地域の穀物管理が高度に規範化されていたことを示している」と述べた。

 湖南大学工商管理学院会計学部主任で、中国会計学会会計史専門委員会委員の陳敏(Chen Min)副教授によると、兔子山遺跡から出土した「三聯単」式簡牘は、現代で言えば複数つづりの原始証憑に近い性質を持っており、さまざまな部門の記帳や管理の要求を満たすとともに、勘定照合や検証、改ざん・不正防止などにも用いられたという。

 兔子山遺跡の漢代簡牘6号井から出土した簡牘の整理事業は、18年にほぼ完了しており、近く研究成果が刊行される。(c)Xinhua News/AFPBB News