【9月25日 AFP】結婚写真を撮るために盛装した新郎新婦。だが2人の顔に笑みはない。この男女が結婚した場所は、第2次世界大戦(World War II)中にナチス・ドイツ(Nazi)がポーランドに設置したアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所だった。死のキャンプで行われたことが唯一知られている結婚式だ。

 新郎は、ルドルフ・フリーメル(Rudolf Friemel)さん。ナチスに対する抵抗運動に参加したオーストリア人の共産主義者だ。新婦はスペイン人のマルガリタ・フェレールレイ(Margarita Ferrer Rey)さん。

 この写真は現在、フリーメルさんの故郷であるオーストリアのウィーン市庁舎図書館(Vienna City Library)で今月末まで展示されている。

「アウシュビッツの結婚式(The Wedding of Auschwitz)」と題された企画展は、2人の遺族から提供された資料と写真を中心に構成されている。

 2人が出会ったのは、1936年。フリーメルさんは、スペイン内戦(Spanish Civil War)でフランシスコ・フランコ(Francisco Franco)将軍率いるファシスト勢力と戦う国際旅団(International Brigades)の一員としてスペインに赴いていた。

 フリーメルさんはオーストリアに帰国後の1942年、アウシュビッツに送られた。収容所ではナチス親衛隊(SS)の車両修理の仕事に就かされた。

 ウィーンのミハエル・ルートウィヒ(Michael Ludwig)市長は、ナチスにとって憎むべき敵であるフリーメルさんが、結婚式を挙げるという特権をなぜ認められたのか、今も分からないと語る。

 夫妻の孫のロドルフ・フリーメルさんは「最も興味深いのは、恐怖の最中にも愛があったことです」とフランス南部の自宅で語った。

「おそらく祖父母は互いにもう一度会うためだけに、結婚式を挙げたのではないでしょうか」

 フェレールレイさんは結婚式のため、1941年に生まれた息子とフリーメルさんの父親と一緒に、ウィーンからアウシュビッツまで行くことを許された。

 婚姻は1944年3月18日午前11時に登記された。

 だが、フリーメルさんはその年の12月、脱走計画に加担したとして絞首刑にされた。収容所が解放されたのはその1か月後だった。

 戦後、妻のフェレールレイさんと息子はフランスに転居した。親子に残されたのは、フリーメルさんからの悲痛な手紙と詩だけだった。

 フェレールレイさんは1987年に死去した。(c)AFP