【9月8日 Xinhua News】中国の陝西省(Shaanxi)楡林市(Yulin)と内モンゴル自治区(Inner Mongolia Autonomous Region)オルドス市の間に広がるムウス(毛烏素)砂漠の周縁に、古代の遊牧騎馬民族、匈奴が築いた都城跡、統万城遺跡がある。9月中旬には、計画と建設に5年を費やした統万城考古遺跡公園が開園する。

 遺跡は楡林市靖辺県(Jingbian)紅墩界鎮(Hongdunjie)白城則村にある。遺跡公園の解説員、李少鵬(Li Shaopeng)さんは遺跡が白い理由について、築城には大粒の砂や粘土、石灰などが用いられたからだと説明した。史書には、統万城は「蒸土築城(土を蒸して築城)」されたと書かれており、その方法が長い間謎とされてきたが、考古学者の分析により、生石灰が水と反応して消石灰になる過程で生じる大量の蒸気を古人が「蒸土」と表現していたことが分かった。砂と粘土、消石灰を混ぜた土は後世に「三合土(三和土)」と呼ばれ、中国では明代以降に強固な建築材料として使われるようになった。そのため、統万城は極めて堅固で、城壁は今でも非常に固いという。

 専門家によると、同城の地形と構造物は典型的な軍事要塞だという。城壁は高く厚く、硬く強固で、四隅に角楼(隅やぐら)、壁上に36の敵楼(物見やぐら)があり、早期の「馬面(城壁の張り出し部分)」も備えた緻密で完成度の高い城壁防御システムだった。

 遺跡には現在、城壁や馬面、南西角台、永安台、西門甕城(おうじょう、城門の防御施設)などが比較的良好な状態で残っている。南西角台の遺構は現存部の高さが26・62メートル、底部の長さが約35メートル、幅が約26メートルあり、遺跡の最高地点となっている。

 南西角台の東側城壁には七つの馬面が残る。城壁本体や角楼と組み合わせることで防御の役割を果たした。馬の顔のように細長い形状からその名が付いた。

 同遺跡付近には統万城遺跡博物館も建設される。復元模型やマルチメディアスクリーン・インタラクティブシステム、仮想現実(VR)などを通じて、来場者に統万城の歴史を伝える。(c)Xinhua News/AFPBB News