【9月13日 AFPBB News】75人の若者がこの夏、福島を訪れた。福島の環境再生と復興の「いま」を見詰め直すために。

 東日本大震災と東京電力(TEPCO)福島第一原子力発電所の事故から11年。『福島、その先の環境へ。』次世代ツアーが8月18〜20日に開催された。

 全国から集まった学生らは、震災で甚大な被害を受けた浜通りを訪問。福島の課題と未来を「自分事」としてとらえ、次世代の視点から何が伝えられるか、共に考える時間を過ごした。

 環境省が主催した今回のツアーは、農業、観光、まちづくり、脱炭素、新産業・新技術の5つのコースに分かれている。訪問先や目的は、AFPBB Newsが推薦した学生と今回のツアー参加者の一部を含む23人が5月、「次世代会議」を開いて企画した。

 参加者全員が訪れたのは、除染により発生した土等が保管されている中間貯蔵施設と、震災の記憶を伝える東日本大震災・原子力災害伝承館。また、大熊町で行われた座談会にもすべての参加者が集い、福島から発信するメッセージについて意見を出し合った。

 ツアーにはスペシャルゲストとして、お笑いタレントの小島よしおさんが参加。中間貯蔵施設や除去土壌の再生利用の実証事業を行っている現場を見学した。小島さんは座談会にも参加し、普段はあまり見せない真剣な表情で学生の議論に耳を傾けた。

「linkる大熊」で、座談会後の撮影に臨む参加者ら(2022年8月19日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

環境再生 ✕ 農業『アイと福島 ~食べて・学んで・感じよう!~』


 ツアー初日。福島の「食」を楽しみつつ、震災を経験した場所だからこそできる農業を学ぶツアーには、学生ら13人が参加した。

 最初に向かったのは、いわき市にある農業や食を体験できる施設「ワンダーファーム」。トマトの栽培ハウスにレストラン、直売所、加工場が併設されている。

◆新しい農業の形

 ワンダーファームは2013年に設立。土の代わりにヤシ殻やココナツの皮などを用いてトマトを栽培している。室内の温度や湿度、二酸化炭素(CO2)濃度はコンピューターで管理されており、AIによる収穫予測も活用している。

 温室内には、地面から少し高い位置に苗床が設置され、そこから伸びた茎に青々とした葉が生い茂っている。参加者は赤く熟したトマトを一つずつつまみ、採れたての味を楽しんだ。

 中国からの留学生、曹妙璇さん(27)は、土を使わない農法に「とてもきれいで、若者でもできる農業」と驚く。トマト2種を試食し、「とてもおいしい。甘かった。放射能のことを心配していたけど、実際に地元の方に会って安心した」と話す。

 風評被害の現状についてワンダーファームの元木寛代表(46)は、「ほぼ無くなってきている」と語った。「むしろ品質勝負。あとは体験する価値のような、品質以外の価値にだんだんなってきている」

 参加者の吉崎萌さん(18)は、「新しいやり方のトマト栽培を福島からチャレンジされている。買ってもらう以上に新しいことに取り組むところに、飛躍できる可能性が広くあると思った。新しい農業の形がもっと広まったらいい」と話した。

いわき市にある「ワンダーファーム」で、トマト栽培を見学する参加者(2022年8月18日撮影)。(c)AFPBB News/Marie Sakonju

◆ユズとサツマイモの町

 次に、楢葉町の海岸沿いに立地する天神岬スポーツ公園を訪れ、園内のアイスショップ「ウィンディーランド」に立ち寄った。れんが色の屋根が印象的なこのショップは約5年前に営業を再開。楢葉の名産であるユズを使った商品を販売している。

 町では震災後、ユズに加えてサツマイモの栽培にも力を入れているという。スタッフの山田由美子さんは、「農家も増えてきて、そこで栽培されたサツマイモを使って今年からジェラートを作り始めた」と語る。参加者は雨上がりの公園で、サツマイモのアイスやラテを味わった。

 続いて、津波防災対策のビューポイント「みるーる天神」を見学。木戸川河口に面した展望デッキからは、津波被害の大きかった前原・山田浜地区が見渡せる。新しい防潮堤や防災林が出来上がっていた。震災直後の面影は見当たらない。

楢葉町にある天神岬スポーツ公園内のアイスショップ「ウィンディーランド」前でアイスを食べる参加者(2022年8月18日撮影)。(c)AFPBB News/Marie Sakonju

◆ワイン作りとまちづくり

 このグループが初日最後に訪れたのは、富岡町の「とみおかワインドメーヌ」。2016年から、ワインを核とした新たなまちづくりと農業に取り組む。

 太平洋を望む丘の上にブドウ畑を整備。2020年には、ここで栽培されたブドウを委託醸造したワインが完成した。富岡で獲れる海鮮食材と合わせやすい白ワインにこだわる。今年は富岡駅前の農場に約2400本の苗木を植えた。今後は駅前の土地約5ヘクタールで、ブドウの栽培や新しい醸造所の建設を見据える。

 遠藤秀文代表(50)は、「日本で最も海と駅に近いワイナリーになるのでは」と意気込む。

「原発被災は、地域だけの問題でなく福島全体の課題。ここからプラスの発信をすることが福島全体のためになる。ワインを通じて魅力ある街並みをつくれば、人が集まってくるし、モノと人もつながってくると思う」

 参加者からは、富岡町で奮起する原動力についての質問があった。遠藤氏は震災当時町長を務めていた父の存在があると語った。

「震災後に命を懸けている(父の)姿を見た時、何か本気でやらないといけないと感じた」と振り返る遠藤氏。2024年の「富岡ワイナリー」設立を目指す。

富岡町の「とみおかワインドメーヌ」で撮影をする参加者(2022年8月18日撮影)。(c)AFPBB News/Marie Sakonju

環境再生 ✕ 観光 『海の福巡り』


 観光と漁業をテーマに選んだグループが訪れたのは、いわき市にあるスーパー「鮮場やっちゃば」小名浜店。そこで店を構える水産品販売業「おのざき」4代目の小野崎雄一さん(26)に、福島産の魚について話を聞いた。

 買い物客でにぎわう店頭にはホウボウやカスペ(エイのひれ)など地元の鮮魚が並ぶ。しかし、多くは他県や海外で水揚げされた魚介類。福島産は2、3割程度にとどまる。「まだまだハードルは高い」と、小野崎さんは厳しい表情を浮かべた。

 現在、県内漁業関係者の懸念は、東電福島第一原発で増え続ける処理水を海に放出する計画だ。東電は、同原発から沖合約1キロまで海底トンネルを敷設し、その先端から処理水を放出する予定だ。

 7月、東電の計画について、原子力規制委員会は安全性に問題はないとして正式に認可。8月に入って、県などが東電の処理水設備設置計画を了承し、海洋放出に向けた手続きが進んでいる。

水産品販売業「おのざき」の小野崎雄一さん。いわき市の店舗で(2022年8月18日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

「放出は受け入れざるを得ない」と小野崎さんは言う。「他人に求めるより、自分たちができることをやっていきたい。おいしいものを愚直に発信していく。鮮魚店ができることはそれだけ」

 福島産の魚介類については、放射線のモニタリング検査を行っており、「言い換えると世界で一番安全」だと小野崎さんは語気を強める。後は、安心をどう獲得するかが課題だと言う。

「どういう人が、どういう思いで、どのように福島の魚を提供しているのかを知ってもらうことができれば、安心は高まっていくと思う」

◆安全と安心

 広島からツアーに参加した大学生の岡野由依さん(20)は、福島を訪問することが、正しい情報に接する第一歩だと話す。

「実際に足を運んで、現地の人の話を聞くということが、信頼につながる。テレビで見るだけでは伝わらないことがたくさんある。きょう直接話を聞いて興味を持つようになったし、それを地元に帰ってからも伝えられたらいいなと思った」

いわき市の三崎公園から海を眺める参加者(2022年8月18日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

 この日、岡野さんらのグループは、塩屋埼灯台や三崎公園などいわき市の観光スポットにも立ち寄った。塩屋崎灯台は1899年に設置。全国でも数少ない「登れる灯台」だ。参加者はらせん階段で最上階へ。潮風を受けながら、霧にかすむ大海原の眺望をスマートフォンで写真に納めていた。

「観光できる場所がたくさんちりばめられていて、楽しいです。いい印象を持ちました」と、今回初めて福島を訪れた岡野さん。雲間から差す光に映える雨上がりの三崎公園を、同世代の参加者と散策しながら話した。

いわき市の塩屋埼灯台前で撮影をする参加者(2022年8月18日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

◆情報発信の拠点 「道の駅なみえ」

 岡野さんらのグループは浪江町に移動し、2年前に復興のシンボルとしてオープンした「道の駅なみえ」に立ち寄った。

 店頭には、ご当地B級グルメ「なみえ焼きそば」や請戸漁港で水揚げされたシラスや白魚などが並ぶ。福島産の木材をふんだんに使った建物には、住民の交流施設や地域の魅力を発信するコーナーもある。

「ここは復興の拠点として、住民にとっても観光客にとっても大切な場所ですね」と、東京都市大学3年生の竹内新さん(21)は言いながら、家族へのお土産を手に取っていた。

浪江町の「道の駅なみえ」でお土産を買う参加者(2022年8月19日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

伝承館を訪ねて


 2日目には全ツアーの参加者が、双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れた。津波で更地になったエリアに立地する同館は、27万点に及ぶ震災や原発事故関連の資料を収蔵。そのうち約200点が展示されている。

「中学生・高校生だとほとんど記憶がない方が多い。そういった学生の方に全国から見にきてもらい、震災の教訓、そして次の災害に備えての減災・防災に役立てていただきたい」と、後藤雅文副館長は言う。

 これまでに約130回の講話をしてきた語り部の鈴木史郎さん(59)も、若い世代に被災地に足を運んでもらいたいと感じている。自宅は大熊町にあるが、今も一時立ち入りしか許されていない。

「現状があと何年続くか分からない。大熊をよく見てもらいたい。ゴーストタウンのようになっている。その現状を見てもらいたい」

双葉町の伝承館で福島第一原発のジオラマを見学する参加者(2022年8月19日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

 大学1年生の小倉暁希さんは、震災の約2年後、祖父母が住む南相馬市を訪れ、津波の被害を目の当たりにした。その後、震災の映像やニュースは意識的に避けてきたが、「過去に向き合う機会になれば」と今回、ツアーに参加した。

「もし自分が震災当時、南相馬にいたらと考えると、すごく苦しいです。結構、トラウマなのかな」と小倉さんはとつとつと話した。原発事故の映像を見終えた後、涙ぐんでいた。

「津波のシーンもそうですけど、水素爆発のシーンなんか、小さいながらも衝撃的だった。起こっていることは理解できなかったけど、『やばいんだ』みたいなことは思った」と、当時の記憶をたどった。

「忘れちゃいけないなって思います。知らなきゃいけないんだって。自分は少し、他の人よりも震災のことに詳しいから。そういう伝える立場に立たないと」。小倉さんは白いブラウスの袖で涙を拭った。

双葉町の伝承館で資料を見つめる参加者(2022年8月19日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

中間貯蔵施設


 伝承館の他に、ツアーの全参加者が訪れたのは中間貯蔵施設。福島第一原発に隣接し、除染に伴い発生した除去土壌や廃棄物を貯蔵する広大なエリアだ。

 施設は大熊町と双葉町にまたがって設置されており、1300を超える県内の仮置き場から除去土壌等が集められている。搬入が始まったのは2015年。累積搬入量は2022年4月末時点で東京ドーム約11杯分に相当する。

 木々に囲まれた谷をすり鉢状に深く掘り下げた土壌貯蔵施設の近くに、フレキシブルコンテナバッグと呼ばれる除去土壌等の入った黒い大型の土のう袋が隙間なく積み上げられている。そこにはかつて農地があり、墓地があり、人々の営みがあった。見学デッキからは、福島第一原発の原子炉建屋や処理水タンクが遠望できる。

 この施設に集められた膨大な除去土壌等は、2045年までに県外で最終処分することが法律で定められている。しかし、最終処分地はまだ決まっていない。

双葉町、大熊町にある中間貯蔵施設から見える福島第一原発をスマートフォンで撮影する参加者(2022年8月19日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

◆国全体として考える

 毎月数百人の見学者がここを訪れている。ただ、施設の存在や県外最終処分についての認知度を高めることが必要と、中間貯蔵・環境安全事業株式会社の安納康栄情報センター室長は語る。

「そもそも関心のない方が相当数いる。そういった方々にいかに関心を持っていただけるかが、非常に大きな課題。国民全体として考えていただける機運を醸成していきたい」

 東北福祉大学で震災復興について学んでいる沼崎瑞稀さん(21)も、中間貯蔵施設に関心がある同世代の人は少ないと感じている。

「こういった情報ってなかなか入ってこない。この事実を知ってほしいなという気持ちはあります。それをどう伝えて行くのかが課題だと思いました」

見学デッキから見る中間貯蔵施設(2022年8月19日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

小島よしおさんと語る福島の未来


 2日目の夕方、大熊町の「linkる大熊」で開催された『福島、その先の環境へ。』次世代ツアー座談会では、各ツアーの参加者が一堂に集まった。会場では10のグループに分かれ、「今、私たちが福島について知り、伝えたい10のこと」をテーマに意見を出し合った。

 各グループには、専門家や環境省職員がアドバイザーとして参加。スペシャルゲストの小島よしおさんも議論に加わった。

 参加者は、ツアーを通じて体験したことや感じたことを書き出し、次世代の視点から何を伝えられるのか、これからどのように福島と向き合えるのかを話し合った。

 座談会の最後には、各グループがディスカッションのまとめを報告。「自分事として考えるきっかけをつくる」、「福島の明暗を伝える」、「楽しく、正しく知ることが大事」、「福島を知り、地元と向き合おう」などのメッセージが読み上げられた。

「福島の復興のため、より良い未来のために一生懸命熱い熱量を持って頑張っている方たちを見て、私たちの地元も同じような熱量で頑張りたい」と、高校3年生の参加者が自分たちのグループを代表して発表した。

大熊町の「linkる大熊」で開催された座談会でメッセージボードを掲げる参加者(2022年8月19日撮影)。(c)AFPBB News/Yuji Miyamoto

 アドバイザーとして参加した福島県観光物産交流協会ホープツーリズム推進課の斎藤辰彦氏は、参加者がこのツアーを通じて感じたことを、それぞれの地元で発信してほしいと語った。

「ここに来て初めて気づいたことがたくさんあると思います。そういったものをぜひ、皆さまの中でそしゃくしていただき、それを周りの方に伝えていただければなと思います」

 小島よしおさんは、参加者の熱い議論に圧倒されたという。

「皆さんすごく熱い思いがあるな、というのを感じました。これは本当にすごく大事だと思います。熱というのは伝わるし、思いは絶対に実現すると思っています」

 最後に、環境省環境再生・資源循環局の番匠克二参事官が、今回のツアーが復興を後押しする新たな一歩になることへの期待を示した。

「この経験を生かして、今後も皆さんの中で引き続きいろんなこと、福島のことを考えていってもらえればと思います。発表して終わったというのではなくて、今日が始まりのつもりで福島に関わっていただければありがたいと思います」

大熊町の「linkる大熊」で開催された座談会で参加者に語り掛ける小島よしおさん(2022年8月19日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

環境再生 ✕ 地域・まちづくり『福島 ヒト ✕ まち物語』


 ツアー最終日。復興への歩みを体感するコースを選んだ参加者は、福島第一原発が立地する双葉町と大熊町を訪れた。町内には、解体されずに残された廃屋が立ち並ぶエリアがあった。時が止まっているかのようだった。

 双葉町では、町立双葉南小学校を訪問。校内の一部は、震災の記憶を風化させないため、あえて手つかずにしてある。教室の机の上にランドセルや手提げかばんが無造作に置かれている。黒板の端には「3月11日」と、白いチョークで書かれたままだ。

 参加者の一人は「教室に入って、震災当時の小学生たちの状況を思い、胸が苦しくなるような感覚にとらわれた」と語った。

 双葉町では8月30日、帰還困難区域の一部で避難指示が初めて解除された。原発事故の後、町内では全住民の避難が続いていた。

 解除されたのはJR双葉駅周辺の「特定復興再生拠点区域」。除染やインフラ整備が先行する復興拠点だ。解除に合わせて町に役場の新庁舎が完成した。

「原発災害で時は10年以上、止まっていた。しかし復興再生計画で、新たなまちづくりが始動する」と、双葉町役場秘書広報課の橋本靖治課長は期待を寄せる。

双葉町の双葉南小学校の教室内(2022年8月20日撮影)。(c)AFPBB News/Kenichi Kaku

◆未来に向けて

 その後、一行は大熊町へと向かった。閉校した町立大野小学校の校舎を改修した起業支援拠点「大熊インキュベーションセンター」を訪問。現在、約30社が入居し、シェアオフィスとして活用している。

 おおくままちづくり公社の山崎大輔さんによると、次世代のサービスや製品開発に取り組む企業を呼び込み、住みやすく魅力ある町の実現と、新しい産業の創出を目指しているという。

 大熊町では、6月30日に特定復興再生拠点区域の避難指示が解除され、現在は約200人が町内に居住している。

 また公社は、震災後10年という節目に新たなスタートを切るため、福島県会津若松市にある酒蔵の協力を得て、大熊町で栽培したコメで日本酒作りも始めた。

「廃虚の写真などネガティブな印象を持たれているが、大熊は未来に向けて今、動いている」と公社職員は力を込めた。

大熊町の起業支援拠点「大熊インキュベーションセンター」(2022年8月20日撮影)。(c)AFPBB News/Kenichi Kaku

■環境再生 X 新産業・新技術:『体験する福島 ― 未来の技術を追って』


 新産業や新技術を体験するグループは、飯舘村長泥地区にある環境再生事業エリアを訪れ、除去土壌の再生利用実証事業を見学した。除去土壌の再生利用に向け、今後の展開が期待される重要な取組である。

 まず目についたのは巨大な白い建物。除去土壌等から木や石などの異物を取り除く施設、「再生資材化ヤード」だ。ここで処理された土を利用して実証事業を行っている。隣接する集中監視室では、トラックの搬入管理や除去土壌等の線量測定、ヤード内にある大型装置のモニターなどを一括して行っている。

「除去土壌の再生利用が増えれば最終処分量も減る。覆土を活用しながら農用地への再生利用も有効」と環境省の職員は説明した。

 村内の仮置場から運ばれた除去土壌のうち、放射能濃度の低い除去土壌を農地のかさ上げ材として使用。さらに、その上を土で覆っている。訪れた日、水田エリアでは稲穂が実り始めていた。

飯舘村長泥地区にある環境再生事業エリアで処理をした土を見る参加者(2022年8月20日撮影)。(c)AFPBB News/Hiromu Asada

 これまでに収穫された作物の放射性セシウム濃度は約0.1ベクレルで、厚生労働省の基準値を大きく下回っているという。地元の農家も参加し、これまでにインゲンやキュウリ、ホウレンソウなどの野菜も栽培してきた。

 前日に長泥を訪れた小島よしおさんは、元住民との対話が記憶に残ったと言う。「長泥でもともと住まれていた方々が、『長く住んでいた土地だから、やっぱり戻りたいんだ』と言っていた」と座談会で報告した。長泥地区は現在も避難指示が続いている。

飯舘村長泥地区にある環境再生事業エリアの栽培実験場で説明を聞く参加者(2022年8月20日撮影)。(c)AFPBB News/Hiromu Asada

◆放射線について知る

 このグループが長泥地区に先立って訪れたのは、富岡町にある「リプルンふくしま」。放射性物質に汚染されたごみの埋立処分について学べる体験型の情報館だ。8月で開館から4年になった。これまでに延べ6万人以上が訪れた。

 参加者は、館内のモニターやタッチパネル、ジオラマなどで特定廃棄物の埋立事業や放射線について学んだ後、実際に屋外に出て、自然界の放射線を線量計で測定した。

 空間線量を測定するサーベイメーターを手に、リプルンふくしまの建物前と森の中のモニタリングフィールドの2か所で計測。建物前より森の方が高い数値を示した。

「ちょっとの距離で数値が大きく変わるのに驚いた。目に見えるものではないので、分からないですから」と、別のツアーでこの施設を訪れた山川真依さん(20)は語った。

富岡町にある「リプルンふくしま」で空間線量を測定する参加者(2022年8月19日撮影)。(c)AFPBB News/Yuji Miyamoto

■環境再生 ✕ 脱炭素『From Fukushima to the world』


 現在、福島は新しい産業技術の拠点としても注目されている。再生可能エネルギー社会の実現を体感するツアーには15人が参加。最初に話を聞いた事業は、浪江町で始まる、コメを使ったバイオマスプラスチックの生産だ。

「バイオマスレジン福島」では、非食用米や古米などと石油系のプラスチックを混ぜることでコメ由来のバイオマスプラスチック「ライスレジン」を作る計画だ。コメの含有量は最大70%。石油系のプラスチック製品と比べて、焼却時のCO2排出量を抑えられるという。

 浪江町では昨年からライスレジンの原料となるコメの作付けを開始。今年11月には工場が稼働する。年間3000トンの生産を目指す。

浪江町で「ライスレジン」の原料となるコメの田んぼを見る参加者(2022年8月18日撮影)。(c)AFPBB News/Yuji Miyamoto

 施設を統括するバイオマスレジンHDの中谷内美昭副社長は、コメは輸入に依存せず国内で安定的に確保できる穀物だと語った。2025年までに国内で8〜10か所、海外5か国へ、とライスレジン生産拠点の拡大を目指す。

 中国からの留学生、劉思茗さん(24)は、事業の海外展開に興味を引かれたと言う。「中国にも工場を作ると聞いた。中国にも非食用米や無駄になるコメが結構ある。日本だけでなく、世界の環境の取り組みにも目を向けたい」と話した。

◆世界最大級の水素製造装置を備えた水素エネルギー実証エリア

浪江町にある実証事業施設「福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)」を見学する参加者(2022年8月18日撮影)。(c)AFPBB News/Yuji Miyamoto

 一行は、同じく浪江町にある世界最大級の水素製造施設を備えた実証事業施設「福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)」にも足を運んだ。

 この施設は2020年に開所。150世帯に約1か月分の電力を供給できる水素を1日で製造する能力を持つ。現在、道の駅なみえや、Jヴィレッジなどの燃料電池に水素を供給している。

 参加者は設備や水素について学んだのち、大型の水素タンクや水素を運び出すトレーラーを見学した。

 職員の堀口柊氏は、若い世代の発信に期待を寄せる。「今福島で、水素だとか最先端技術に力を入れている。前向きな復興のイメージを共有していただければ」と語った。

浪江町にある実証事業施設「福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)」で水素タンクを見上げる参加者(2022年8月18日撮影)。(c)AFPBB News/Yuji Miyamoto

ツアーを終えて


 新型コロナウイルス感染拡大後、行動制限のない初めての夏。浜通りの各地を巡るツアーが幕を閉じた。全国から集まった75人はさまざまな思いを胸に福島を後にした。

「まず身近な人でもいいので、世間話程度に福島のことを伝えて、きっかけを自分たちでつくっていくことが大事だと思いました」と大学3年生の参加者は語った。

大熊町にある「linkる大熊」で開催された座談会後にメッセージボードを掲げる参加者(2022年8月19日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

 祖父母が南相馬にいる小倉さんは、帰宅後にツアーの写真をSNSに投稿する予定だ。

「福島っていい所だなって思う。自然もいっぱいだし、住んでいる人もみんな優しい。雰囲気が好き。そういうプラスのところをどんどん伝えておきながら、こういう事故もあったことも忘れちゃいけないと思います。光も影も」
 
 今後、参加者の代表は、ツアーでの経験や話し合った内容を、次世代の視点から情報発信する。さらに議論を重ね、来年3月、環境省主催のシンポジウムで一連の成果を報告する予定だ。(c)AFPBB News

双葉町の伝承館に隣接する公園でジャンプをする参加者(2022年8月19日撮影)。(c)AFPBB News/Shingo Ito

*この記事は環境省の協力により配信をしています。