【1月14日 AFP】かつて日本には、至る所に銭湯があった。しかし近年は自宅で入浴する人が増えた上、設備の老朽化や燃料価格の高騰、後継者不足、土地売却の勧誘などで廃業する銭湯が急増しており、1960年代後半には全国で1万8000軒近くあった銭湯の数は、今や1800軒前後にまでその数を減らしている。

 そうした中、東京の一部の銭湯は流行を取り入れた改装や、顧客データの分析などさまざまな方法で生き残りを試みている。

■文化遺産として保護

 宮造りの屋根、木の引き戸、壁に描かれた富士山の絵など、北区滝野川にある稲荷湯(Inariyu)は、昔ながらの典型的な銭湯だ。

「銭湯OLやすこ」として活動している奥野靖子(Yasuko Okuno)さんは、東京都浴場組合(Tokyo Sento Association)の公式ライターを務めている。

「会社に勤めてからの話ですが、やっぱり仕事で帰りが遅い日が続いたり、気持ちも疲れたり、心も疲れたり、家に帰っても仕事のことが忘れられないというか、落ち着かない日が続いたりしていたんですけれども。でも、そういう時に、ちょっとたまたま久しぶりに銭湯に行ってみたら、すごく気が楽になった」と話す。

「大きい浴槽があったり、いろんな詳しいことは聞いてこないけれども、優しくあいさつされたり、話し掛けてくれたりする常連さんというか、いつもそのお店にいるお客さんと話していると、自分のもう一つのおうちみたいに思えて。まるでもう1戸のおうちが外にあって、時々ふらっと気軽に寄れる場所があることがすごくうれしくて。それで、社会人になって会社に勤めてから、どんどんはまるようになりました」

 銭湯再生に取り組む社団法人「せんとうとまち(Sento & Neighborhood)」で理事を務めるサム・ホールデン(Sam Holden)さんは、東京に10年近く暮らしている米国人。銭湯の廃業によって地域の絆が失われてしまうと危惧する。

 同団体は世界中の文化遺産の保護・保存活動を行っているワールド・モニュメント財団(World Monuments Fund)に働き掛け、稲荷湯改修のための資金約20万ドル(約2600万円)の支援を受けた。

 稲荷湯は、狭い路地が走る低層住宅地に1930年代に建てられた。「私たちはこうした歴史的建造物が、集合住宅などに再開発される前に保存しなければと危機感を抱いていました」とホールデンさんは語る。

 稲荷湯を夫婦で経営する土本俊司(Shunji Tsuchimoto)さんはAFPに対し、燃料代は昨年の1.5倍かかっているが、改修した建物でイベントを開催するなどして若者を取り込み、銭湯文化というものを知ってもらいたいと語った。