【9月1日 AFP】8月30日に91歳で死去したソビエト連邦最後の指導者ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)元大統領について、ウクライナでは批判的な声が多い。1991年のソ連崩壊で無意識にウクライナ独立への道を開いたものの、2014年のロシアによるクリミア(Crimea)半島併合を支持し、今年の侵攻後は沈黙を守ったためだ。

 ゴルバチョフ氏はソ連崩壊の引き金を引き、ウクライナを含む15の独立国が誕生するきっかけをつくった。

 だが、ウクライナ出身の母と妻を持つ同氏の訃報を受けても、ウクライナ政府が沈黙しているのは偶然ではない。

 首都キーウの市民は31日、ゴルバチョフ氏は「占領者」で「帝国主義者」のソ連指導者だったと、敵意をあらわに批判した。

 32歳の男性はゴルバチョフ氏について「死んでとてもうれしい。敵と敵の支持者が死ねば死ぬほどうれしくなる」と話した。

 17歳の女子学生は、ゴルバチョフ氏はウクライナのことなど「どうでもいいと思っていた」と確信しており、ウクライナ独立と同氏は「無関係」だと強調した。「ソ連の指導者だったというだけ。自分の王座も守れなかった」

 43歳の女性は「今のロシア指導者に匹敵するほどの侵略者だ」と話した。ゴルバチョフ氏は「ウクライナ人やその文化と言語を破壊することに力を入れていた」と主張した。

 西側諸国では人気があるゴルバチョフ氏に対するウクライナ人のあからさまな敵意は、同氏がウクライナ侵攻について一度も公に発言しなかったことが一因だ。同氏は2014年のクリミア半島併合も「支持」した。

 ウェブサイト「ukraineworld.com」の編集長で哲学者のウォロディミル・エルモレンコ(Volodymyr Yermolenko)氏は、ゴルバチョフ氏に対しウクライナ人は「非常に懐疑的だ」と指摘。「各国の追悼記事のような熱狂をわれわれは分かち合っていない」と述べた。

 ゴルバチョフ氏は1986年4月26日、チョルノービリ(チェルノブイリ、Chernobyl)で世界最悪の原子力事故が発生した当時の指導者だった。ソ連政府は事故の重大性を隠そうとし、周辺住民の避難が遅れた。

 ゴルバチョフ氏は、事故の5日後に予定されていたキーウでのパレードを中止しない決定を下した。大気中に放射性物資が含まれていることを知らず、子どもを含む大勢が花を手に歌いながら市内を行進した。

 著名ブロガーで活動家のユーリ・カシヤノフ(Yuri Kasyanov)氏はフェイスブック(Facebook)に、ゴルバチョフ氏は「普通のロシア帝国主義者だった。ただ単に、ソ連の維持とロシア帝国の復活のためにあらゆることをしただけだ。そしてロシア帝国は今、われわれに戦争を仕掛けている」と語った。

 ロシア人からは嫌われ、ウクライナ人からは批判されるゴルバチョフ氏は生前、自身のルーツについてたびたび語っていた。

 2015年の独ニュース週間誌シュピーゲル(Der Spiegel)とのインタビューでは、「結局のところ、私は半分ウクライナ人だ。母も妻ライサもウクライナ人だ。初めて話した言葉もウクライナ語だったし、初めて聞いた歌もウクライナのものだった」と語った。(c)AFP/Stepan YURCHENKO