【8月20日 Xinhua News】中国甘粛省(Gansu)文物考古研究所はこのほど、同省慶陽市(Qingyang)寧県にある石家・遇村遺跡で戦国・秦漢時代の墓地を初めて発見したと発表した。これまでに25基を発掘している。

 すでに得られた考古学的証拠は、これらの墓に埋葬された一族が、春秋戦国時代に現在の甘粛省に存在した遊牧民族国家「義渠(ぎきょ)」と密接な関連があることを示している。当時西戎(せいじゅう)と呼ばれた西方少数民族と秦国との民族・文化融合を裏付ける実物証拠にもなる。

 石家・遇村遺跡は石家墓地と遇村遺跡の総称。2016年から発掘調査が進められている。両周(西周と東周)時代の大型集落跡で、複数の文化層を持つ。遇村遺跡で新たに見つかった大型城郭集落と、石家墓地で発見された多くの高位貴族の墓は、住居と埋葬地の関係を構成している。

 今回見つかった墓地は、21年に実施した大規模事前調査で存在が確認された。年代は大まかに初期と中期、後期の三つに分かれ、それぞれ戦国時代後期、秦の全国統一後、前漢初期に当たる。形状は直線式洞室墓で、石家墓地すでに発見されている春秋時代の竪穴式土坑墓とは明らかに異なる。墓には動物のいけにえがささげられ、土器や銅銭などが大量に出土した。

 発掘調査チームのリーダーを務める同研究所の王永安(Wang Yongan)副研究員は「墓地は西戎文化の特徴を示しており、埋葬された一族は文献に記載のある義渠と密接な関係があると判断した」と述べた。

 義渠は遊牧民族の一支族で、商(殷<いん>)代には出現していた。主に現在の甘粛省慶陽市一帯で活動し、秦国とは対等な関係にあった。秦の宣太后は紀元前272年、甘泉で義渠の王をだまして殺害し、これ以降、義渠の記載は史書から消えた。王氏は「新たに見つかった墓の材料は、義渠の文化の発展の歴史を探求するための証拠になる」と語った。

 王氏によると、各時期の墓は埋葬習慣や形状などの本質的変化はないものの、中・後期の副葬品からは北方の草原文化の要素が徐々に消え、陶釜(煮炊き器)や盂(う、盛食器)、罐(かん、貯蔵容器)に代表される秦文化の特徴が出現していることが比較研究で分かった。

 王氏は「(副葬品の)変遷は、秦が北地郡を設置して以降、義渠文化と秦文化が互いに融合していく過程を示している。中華文明の多元一体的な形成と発展を研究する上で、より多くの史料をもたらした」と語った。(c)Xinhua News/AFPBB News