【課題提起】
「今日の人間の安全保障とアフリカ」
牧野耕司氏
JICA 緒方貞子平和開発研究所 副所長
「今日の人間の安全保障とアフリカ」
牧野耕司氏
JICA 緒方貞子平和開発研究所 副所長
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「人間の安全保障」について議論していきますけれども、その考え方を非常に発展させたのが緒方貞子さん※1。この方の下で、「人間の安全保障」の実現に向け、JICAで働いていました。今、その緒方さんの名前を冠した研究所におります。
今日の話は3点あります。最初は「人間の安全保障とは」、それから「世界とアフリカの脅威」、最後に「人間の安全保障の意義」です。
「人間の安全保障」とは何か。それは、「さまざまな脅威に対する弾力性のある強い社会をつくることで、人々の命、暮らし、尊厳を守る」という考え方です。
今、「弾力性のある強い」という言葉を使いましたけれども、レジリエント(resilient)という英語を訳したものです。レジリエントとは、「新型コロナウイルスなどの脅威に打ちのめされても、適切に反応し乗り越えていく力を有する」ということです。
「さまざまな脅威」というのは何か。二つに分けてみます。一つは「ショック」。急性的な脅威。紛争や暴力、コロナ感染症などの病気。それから、気候変動などに伴う自然災害、経済危機、事故、犯罪などです。
それに対するのが「慢性的な脅威」。別の言い方で広義の貧困と言ってもいい。所得貧困、飢餓、保健・教育、社会サービスなどの欠如。これらのさまざまな脅威を前に、レジリエントな社会をつくることで人々の命と暮らし、尊厳を守るという考え方が「人間の安全保障」です。
※1 緒方貞子:第8代国連難民高等弁務官(1990~2000年)。JICA理事長(2003~2013年)。現場のニーズや文脈を捉えて事業を行う「現場主義」を重視し、「人間の安全保障」の実践に力を注ぐ。2019年、92歳で死去。
少し深掘りしたいと思います。左側の図は、「人間開発」と「人間の安全保障」の関係図です。「SDGs(持続可能な開発目標)と人間の安全保障」と言ってもいい。われわれは「人間開発」、あるいはSDGsについて、右肩上がりに良くなってもらいたいと希望するのですけど、実態はジグザグのこの赤い線になってしまう。
気候変動、紛争あるいは新型コロナウイルス禍などのショック、さまざまな脅威があって、ダウンサイドリスクによって(赤い線は)下方に振れる。「人間の安全保障」はそれに対して、人々と社会のレジリエンス(回復力)を強化することによって押し上げる。レジリエンスを強化することにより、元の軌道に戻していくという力を持ちます。
右側のグラフは、SDGsの過去から現在までの推移です。2015年の導入以来、着実に良くなっていったのですけれども、コロナ禍で2020年と2021年に状況は悪化した。だからこそ、今、「人間の安全保障」を実践する必要がある。それによってSDGsの軌道を元に戻していく。「人間の安全保障はSDGsの基盤」であります。
ではアプローチは何なのか。それは非常にシンプル。保護とエンパワメントです。保護は国家などによるトップダウン的なアプローチです。そしてエンパワメントは人々、それから市民社会によるボトムアップのアプローチ。この二つを組み合わせる。どちらかだけでなく、組み合わせる。
日本も新型コロナ感染第7波に入ったと言われています。新型コロナに対しては、政府によるトップダウン。例えば感染予防の啓蒙(けいもう)とかワクチン接種。それに加えて、人々自身によるボトムアップ。マスクの着用、それからソーシャルディスタンスの維持。この二つを組み合わせることによって、しっかりとした感染予防ができます。
次に世界、特にアフリカの脅威の話をしたいと思います。今年4月に行われたIMF(国際通貨基金)・世界銀行の会合の際、IMFのトップがこんなことを言いました。「われわれは今、危機の上に危機が重なった状態に直面している」※2
つまり、第一に新型コロナはまだ終わっていない。なのに、ロシアによるウクライナ侵攻。その衝撃は世界に広がっているじゃないか。世界で最も脆弱(ぜいじゃく)な人々、特にアフリカへの影響は甚大。「だからこそ回復を守り、回復力を高めることが重要だ。国際協力は重要だ」と言ったのです。
「人間の安全保障」という言葉は使ってないけれども、まさしくレジリエンスを強化すること。回復力を高めるリカバリー、これこそ「人間の安全保障」。これが重要なのだと言っています。
※2 IMFのクリスタリナ・ゲオルギエワ専務理事は2022年4月、「Facing Crisis Upon Crisis: How the World Can Respond」と題したスピーチを行った。
ではアフリカに目を向けていきましょう。まずコロナ禍の影響。アフリカの1人当たりGDP(域内総生産)は2000年代、良くなっていた。しかし、2015年をピークにどんどん悪くなって、コロナ禍によって2020年、2021年に非常に悪くなった。その結果、今ではアフリカの1人当たりGDPは10年前の水準に戻った(左の図参照)。
コロナ禍前に比べてコロナ禍後に教育の機会がどれくらい失われたか。アフリカはこれが非常に大きい。多くの児童・生徒が学校に行けずに、60%超の非常に大きな教育機会の損失が生じた(右の図参照)。
二つ目は気候変動。全世界のCO2(二酸化炭素)の排出量からするとアフリカの排出量はそんなに大きくないけれども、気候変動に対する脆弱性は大きい(図参照)。
気候変動がアフリカにどのような影響を与えているのか。干ばつ、高温、洪水、暴風雨です。要は、普通に雨が降ってくれない。全く雨が降らない、あるいは雨がブワーッと降ってみな流してしまう。
それから食料危機。アフリカは、戦争中のウクライナ、ロシアからたくさんの食料を輸入しています。アフリカは小麦が非常に重要で、この2つの国から35~100%輸入している。これが今止まる。これは大変なことです。食料価格が高くなる、あるいは不足する。普通の人々の生活が打撃を受けています。
例えばケニアでは小麦粉の価格が25%、食用油が45%、この1年間で上昇した。ナイジェリアはもっとすごい。パンの価格が2倍以上になった。どうやって生活するのか。こういった、いろんな厳しい脅威の中で、「人間の安全保障」の意義とは一体何だろうかという話です。
たくさんあるが2点に絞って話をしたい。その一つが、脅威への横断的で包括的な取り組みが重要ということです。ロックダウン(都市閉鎖)によって経済に悪影響があったということ。そして、学校に行けなくなった結果、ドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)がすごく増えた。
コロナという感染症の一つ、つまり健康・保健分野の話が、経済分野から学校という教育分野、そして人間の尊厳に関わるDVまで、いろんな分野にまたがって影響を与えている。連鎖する脅威、複合する脅威については、分野横断的な取り組みがすごく重要です。
具体的には、ある国やある地域において、どのような連鎖する脅威があるのか、しっかりと分析する。それに対して先ほど言った、「トップダウンのアクション」。それから「ボトムアップのエンパワメント」。この二つを組み合わせて、人々と社会のレジリエンスを強化することが重要なのです。
分野横断的な取り組みのためには、いろんなプレーヤーが一緒になって働く。政府、NGO、民間企業、国際機関の連携が極めて重要です。
もう一つ、「人間の安全保障」の意義ですが、尊厳の重視があります。尊厳って分かりにくいですよね。私は高須幸雄先生※3が書いた説明が好きです。「自分に自信を持つ。自分らしさに誇りを持つ。自分以外の存在にも敬意を持つこと」
※3 高須幸雄氏。日本の外交官。元国際連合事務次長、元国連大使。
ロックダウンによって家庭内暴力が広がっている。これも尊厳の問題。そして皆さんがテレビなどで目の当たりにしているロシアのウクライナ侵攻。紛争の脅威によって人々の尊厳が奪われている。「人間の安全保障」は、人々の尊厳が最大限に尊重されることを重視しているのです。
だけれども課題もあります。尊厳というのは、孤立とか絶望などを「自分がどう思うか」、つまり主観的なのです。客観的な把握が結構難しい。客観的に調べるアプローチが必要です。尊厳の可視化ができれば、現場での具体的なアクションにつながる。皆さんはどういうふうに考えますか?
今回、アフリカは大変だという話をしましたが、一方でアフリカは非常に強くタフでダイナミックだということも知っています。私がタンザニアにいたとき、マサイの人達がいて、写真のような格好で草原を悠々と歩いている。するといきなり音がして、たもとに手を入れてスマホを取り出して「Hello!」と言う。草原の中でスマホを使っているのです。電気はどうするのかというと、ソーラーパネルを使っている。そしてケニアの首都ナイロビにはこんなすごい高層ビルがある。これもアフリカなのです。
では、「人間の安全保障」に基づいて、アフリカにおいてレジリエントな社会をつくるには一体どうすればいいのか。これから是非皆さんと議論をしたいと思います。
[独立行政法人 国際協力機構(JICA) 緒方貞子平和開発研究所 副所長]
学生時代、サハラ砂漠をヒッチハイクで縦断。その経験から開発やアフリカに関心を持つ。1988年国際協力事業団(旧JICA)入団。企画部、経済開発部などを経て、2021年から現職。アフリカには約10年間勤務(ケニア、タンザニア、ガーナ)。専門は、開発経済学、人間の安全保障など。主な著作物は、共著「今日の人間の安全保障」(JICA緒方研究所 2022)、 共著“Catalyzing Development” (Brookings Institution Press 2011)など。