【8月7日 AFP】空にまだ星が瞬く早朝、時折トランシーバーが音を立てるだけの静寂の中で土屋正起さん(72)は車を走らせる。絶滅の危機から救われた鳥「トキ」を観察しているのだ。目撃できた個体、できなかった個体を丁寧に手帳に記録していく。この14年間、毎朝続けてきた日課だ。

 国産の野生のトキは20年近く前に絶滅した。それが懸命な保護繁殖プログラムによって、現在500羽近くまで生息数を盛り返した。そのすべてが土屋さんの故郷・佐渡に生息している。

 世界の鳥類の8種に1種が絶滅の危機にひんしている中、こうした保護プログラムが異例の成功を収めた背景には、小さな島の外交努力と農家の努力がある。

 土屋さんが朝食を取るのは、すべての観察地点を回り終えてから。長年の経験で、車の窓に取り付けた単眼鏡から観察するだけで巣の中にいるひなを見つけることができる。

 1か所で何十羽ものトキを見ることもある。2003年に国産最後の野生のトキ「キン」が36歳(人間でいえば100歳)で死んだ時には想像もできなかったことだ。

■絶滅から復活へ

 かつては田を荒らす害鳥とみなされていたトキだが、江戸時代には狩猟禁止令があった。しかし、明治時代の鉄砲の普及で状況は一変する。トキの肉は健康に良いとされ、その羽根はハタキから帽子の飾りまでさまざまな用途に使われた。

「明治・大正の約40年間で、日本中からいなくなった」と土屋さん。1930年代初頭には新潟県の佐渡島と石川県の能登半島に数十羽が残るのみとなり、保護の対象となった。

 さらに戦後の高度成長期には化学肥料や農薬の使用増加が新たな脅威となり、1981年には佐渡に残っていた最後の野生のトキ5羽すべてが捕獲・保護された。

 しかし、くしくも同年中国・陝西(Shaanxi)省で7羽の野生のトキが発見された。佐渡で保護されたトキの繁殖はうまくいかなかったが、中国では繁殖に成功し、1998年に中国国家元首として初めて来日した江沢民(Jiang Zemin)主席が日本にトキのつがいを贈ることを提案した。

 翌年、中国から「友友(ヨウヨウ)」と「洋洋(ヤンヤン)」が到着する。このつがいから最初のヒナが生まれた時の様子はテレビで全国的に放送されるほどの大ニュースとなった。その後も中国からトキが届き、佐渡では飼育数の増加に伴い野生復帰が検討されるまでになったのだ。