■トキに優しい農業へ

 トキを野生に返すに当たり、佐渡市はコメ農家が使用する化学肥料や農薬を半減することを要請したが、このことに反発する農家もあった。コメ農家の齋藤真一郎さん(60)は、当時は環境のことよりもできるだけ高く売ること、たくさん収穫することが優先されていたと話す。

 地元自治体による働き掛けは“アメとムチ”。新たな規制値を守らない農家からはコメを買わず、規制値を守っている農家のコメは「トキに優しい」栽培方法によるものとして認証する制度を導入した。

 いち早くトキに優しい農法に転換した齋藤さんだが、他の農家の態度が目に見えて変わっていくのを実感したのは、飼育されていたトキが2008年に初めて放たれた時だった。「おれの田んぼにもトキが来たんだから、おれもそういう農業をしようって。そういう意識転換が始まったんだよね。トキが自ら自分の環境を変えていく役割を果たしたんだ」

 それまでは前向きでなかった農家も、神話のような存在の鳥が自分の田んぼを歩き回る姿に「大喜び」したという。

「だから(トキは)環境親善大使と言ってもいいくらい」だと齋藤さんは話した。

■家族のような存在

 2008年の放鳥から毎朝の見回りを始めた土屋さんは、初めて野生で生まれたヒナからさらにそのヒナと、まるで子どもを初めて学校に送り出す親のような気持ちで眺めてきた。

 現在は年に2回、20羽ほどが3か月間の訓練プログラムを経て放鳥される。飛び方、餌の探し方だけでなく、あえてケージの中で農作業をするなどして人間との付き合い方を覚えさせるという。土屋さんの影響でトキに興味を持つようになったという息子の智起さん(42)は現在、佐渡市トキ・里山振興係の主任としてトキに優しい島づくりを目指している。

「いつかトキが自然に返ってくる。その日が来ることを信じて、トキが住める環境をずっと守ってきた。そういった意味で、佐渡の人にとっては、トキというのは非常に大切な家族かそれ以上。家族と同じような大事な存在です」

 訓練を終えて放鳥されたトキがヘビやイタチなどの天敵から逃れ生き残るのはほぼ半数、野生で生まれたヒナのうち生き延びるのもほぼ半数だ。それでも佐渡のプログラムの拡大が検討され得るほど、野生のトキは増えている。

 プロジェクトが始まった時、齋藤さんが一番夢見ていたのは、農作業をしながら頭の上を飛ぶトキを見ることだった。「トキが住める環境というのは人間にとっても安心して暮らせる環境。それは佐渡の人の一つの誇りだと思う」 (c)AFP/Sara HUSSEIN