【5月11日 AFP】ビタリー・ジボトウスキー(Vitaliy Zhyvotovskyi)さん(50)のまぶたの裏には、ロシア兵によって頭に白い袋をかぶせられ、銃口を突き付けられながら自宅に連れて来られた人たちの姿が焼き付いている。

 ウクライナの首都キーウ近郊のブチャ(Bucha)にある自宅は、同市を占領したロシア軍の拠点とされた。ジボトウスキーさんはここで娘のナタリアさん(20)、そして夫を殺された隣人女性と共に監禁され、地獄のような日々を過ごした。

 焼け落ちた自宅の前でAFPの取材に応じたジボトウスキーさんは「ロシア軍が捕虜に何をしているのか、音が聞こえてきて、恐怖で震えていた」と語った。捕虜たちの悲鳴が聞こえる中、「私たちに希望はなかった」という。

 ブチャのヤブルンスカ(Yablunska)通り(リンゴの木通り)では少なくとも20人の遺体が発見され、世界の注目を集めた。遺体は民間人の服を着ており、ロシア軍による戦争犯罪の犠牲者とみられている。

 ロシア軍がウクライナに侵攻を開始した数日後の2月27日、ジボトウスキーさんの家の庭にごう音を立てて装甲車が侵入してきた。隣接するマンションは砲撃を受け、上層階で火災が発生した。

 それから1週間近くたち、ジボトウスキーさんは自宅をロシア軍に占拠され、ナタリアさんともども地下室に閉じ込められると、許可なく出ようとしたら殺すと告げられた。

 ロシア兵は、ヤブルンスカ通りから徒歩1分の距離にあるこの家で食事をし、眠り、負傷兵を治療し、作戦を立てていた。

 ジボトウスキーさんはひたすら、自分と娘の命を守ることだけを考えた。兵士と話す時はロシア語のみを使い、家族のことや神への信仰を話題にして、人情に訴えようとした。

 しばらくすると、家にはフードをかぶった捕虜が連れ込まれ、尋問や殴打の音、叫び声が聞こえるようになった。こうしたことが少なくとも7回はあったという。