【5月3日 AFP】ウクライナの首都キーウ近郊にあるブチャ(Bucha)のヤブルンスカ(Yablunska)通りで、遺体となり見つかった4人の男性。彼らがここにたどり着いた理由は、それぞれ違った。危険な脱出を試みた人、借りた自転車を返そうとしていた人、負傷した知人の元に向かっていた人。中には、ロシア生まれの人もいた。

 ロシア軍がブチャから撤退した後、ヤブルンスカ通りではこの4人を含め、民間人の服を着た少なくとも20人の遺体が見つかった。大半が銃で撃たれ、数週間にわたり道路に放置されており、ロシア軍による戦争犯罪の犠牲者とみられている。AFPなどが撮影した死者の写真は、ロシアに対する新たな怒りと制裁、そしてウクライナに対する支援の強化につながった。

 ブチャは、自然に近い穏やかな暮らしを求める家族がキーウから移住するベッドタウンとして成長。だがロシア軍にとっては、キーウに通じる要衝だった。

「リンゴの木」を意味するヤブルンスカ通りで起きた惨事については、今も多くの疑問が残っている。だが、捜査当局が調査を開始し、地元住民の証言が集まるにつれ、その詳細が明らかになりつつある。

 AFPは、ヤブルンスカ通りで見つかった人々の身元と死亡の経緯を知るべく、現地取材を重ね、死亡診断書を入手し、目撃者や遺族ら数十人に話を聞いた。そうして判明した4人の最期について、全4回の連載で伝える。

■第1回:突然の銃撃 ── ミハイロ・ロマニュクさん(58)

 オレクサンドル・スマフリュク(Oleksandr Smagliuk)さん(21)は、うつろな目をじっと動かさず、3月6日朝の出来事について回想した。「2人で一緒に出たが、帰りは私一人だった」

 ロシア軍は、1週間以上前に戦車でブチャへ進攻。ウクライナ軍が数日前に仕掛けた反攻は失敗に終わり、ロシア軍はブチャの支配を強めていた。

 住民にとって、市外への避難は危険さを増し、やがて不可能になった。電気や水道は止まり、携帯電話も通じず、ブチャは外界から切り離された。

 スマフリュクさんは6日の午前10時半、砲撃で重傷を負って入院中の父親を見舞うため、恋人のおじのミハイロ・ロマニュク(Mykhailo Romaniuk)さん(58)と共に自転車で出発。ヤブルンスカ通りに着くと、銃撃が始まった。