【4月21日 AFP】ウクライナ東部ドニプロ(Dnipro)の産科病院は現在、避難民の収容施設となっている。ウラジーミル・リグノフ(Vladimir Lignov)さん(71)は、足を引きずりながらその廊下を歩く。灰色のジャージーの袖を肩までまくり上げ、腕を切断した傷跡を見せてくれた。今でも感覚があるという。

「3月21日にたばこを吸いに外に出たら砲弾が当たり、腕を失った」。ロシア軍の攻撃を受けたのは、ウクライナ東部の工業都市アウディーウカ(Avdiivka)の自宅でだった。

 支援活動に携わる人は、リグノフさんのような高齢者が、避難民の中でも特に脆弱(ぜいじゃく)だと指摘する。

 リグノフさんは以前、列車の車掌をしていた。なぜこのようなことが自分の身に起こったのか受け入れるのが難しいと話す。これから起こるかもしれないことが受け入れ難いのは言うまでもない。

「何が起きているのか分からない。死んだ方がましかもしれない。もう生きていたくない」と話した。

 その横を別の高齢者が足を引きずりながら歩いていく。

 ワゴン車で東部から避難者が運ばれてきた。痛みにうめく3人の高齢者をボランティアが慎重に車いすに乗せた。ぼうぜんとした様子で車から降りて来た男性もいた。

「一番大変なのは、地下壕(ごう)でずっと過ごしていた人だ」と、この施設でボランティア代表を務めるオルガ・ウォルコワ(Olga Volkova)さんは言った。施設では現在84人が暮らしており、その大半が高齢者だ。

「取り残された高齢者も多い。戦争前は私たちが支援していたが、今は自力で生活している」

 NGO「ハンディキャップ・インターナショナル(Handicap International)」のウクライナ担当フェデリコ・デッシー(Federico Dessi)氏は、戦争が始まると高齢者は家族から切り離され、電話が使えず連絡が取れなくなることもあると指摘。「忘れられることも多く、極めて弱い存在だ」と語った。

 同NGOは現在、ドニプロの施設に物資を提供し、資金援助もしている。

 ハンディキャップ・インターナショナルは、ウクライナ政府の統計に基づき、ロシアの侵攻が始まった2月24日以降、ドニプロ周辺に避難してきた高齢者・障害者は約1万3000人に上ると推測している。

 マリウポリ(Mariupol)から逃れてきた人を主に受け入れている別の施設を運営するコンスタンチン・ゴルシコフ(Konstantin Gorshkov)さんは、「高齢者を収容する施設を10か所造ったとしても、すぐに満員になるだろう」と話した。