劇場空爆の生存者、「恐ろしい」体験語る ウクライナ
このニュースをシェア
【4月2日 AFP】ロシア軍に包囲されるウクライナ南東部マリウポリ(Mariupol)で先月起きた劇場空爆で、一命をとりとめた女性2人が、当時の「恐ろしい」体験をAFPに語った。
マリウポリでは先月16日、多数の民間人が避難していた劇場が、ロシア軍によるものとされる空爆を受けた。ビクトリヤ・ドゥボビツカヤ(Viktoria Dubovytskaya)さん(24)はその際、劇場内にいた。一方、マリヤ・クトニャコワ(Maria Kutnyakova)さん(30)は水をもらいに行くために外に出ていたが、母親ときょうだいが劇場内にいた。
2人は避難先の西部リビウ(Lviv)でAFPの取材に応じ、空爆の前後について回想した。
ドゥボビツカヤさんは先月5日、砲撃や空爆、飢えや寒さから逃れるため、6歳の息子と2歳の娘を連れて劇場に避難した。
空爆の日は、平穏に始まった。弾が建物に命中した時、子どもたちは母親のそばで遊んでいた。ドゥボビツカヤさんは壁にたたきつけられ、顔面を負傷。すぐに息子の悲鳴が聞こえたが、娘の声は聞こえなかった。
それから2週間たった今、ドゥボビツカヤさんはリビウの避難所で娘を抱きながら、「この子がいなくなったと思った時が、最も恐ろしい瞬間だった」と振り返る。「たとえ手足がなくなっていたとしても、せめて生きていてほしい」と願ったという。
AFPが入手した衛星画像や目撃者の証言によると、劇場の前方と後方の地面にはロシア語で「子ども」と大きく白字で書かれていた。当局によれば、劇場内には当時、女性や子どもを中心に1000人が避難していたが、空爆による死者数は現在もはっきりしない。
劇場は、人道支援として公式に実施される避難の出発地とされていた。ロシア軍は、劇場にはウクライナの精鋭部隊「アゾフ連隊(Azov Regiment)」の兵士が陣取っていたと主張。だがドゥボビツカヤさんとクトニャコワさんはいずれも、空爆時の劇場に兵士はいなかったと証言した。
ドゥボビツカヤさんは「兵士たちは1日1回、人道支援部隊が来るかどうかを知らせにきて、すぐ帰っていった」と語る。ただ一度だけ、付近で爆撃があった後にウクライナ兵4人が劇場で夜を明かしたことがあったという。
マリウポリの新興企業に勤めるクトニャコワさんも、母親やきょうだいと共に避難の一行に加わろうと、劇場で待機していた。空爆当日、劇場の下階や地下には場所がなかったため、3人はそろって3階に移動した。
クトニャコワさんが隣の建物に住むおじに水をもらいに出ていた時、飛行機の音に続き、爆弾が投下される音がした。「近づいてみると、劇場の屋根がなくなっていた。がれきが散乱し、負傷者が横たわっていた」
劇場内に入ると、家族の名を必死で呼ぶ人々の声が聞こえてきて、クトニャコワさんも母親ときょうだいを捜した。2人は「奇跡的に」助かったという。(c)AFP/Clara Marchaud