【3月24日 AFP】土のうを積み、武器を蓄え、ウクライナの首都キエフは待っている。

 ロシアのウクライナ侵攻から1か月。キエフの北西・東部でのロシアの進軍は鈍化したようにみえる。

 商店などは閉鎖を命じられ、市民は自宅にとどまるよう指示されており、キエフはゴーストタウンのようになっている。

 定期的に鳴る空襲警報と遠くで聞こえる爆発音が、静寂を打ち破る。聖ソフィア大聖堂(Saint Sophia Cathedral)の金色の円屋根は、春の日差しに輝いている。

 ボクシング元世界チャンピオンのビタリ・クリチコ(Vitali Klitschko)市長は、21日から23日朝まで外出禁止令を出していた。

 キエフ市内でAFP取材班を案内したアレクシスさんは、侵攻前はドイツ語を教えていた。「どのみち、みんな心に傷を負っている。そんなに外に出たいとは思っていない」と話す。

 ロシアが侵攻した2月24日以降、人口350万人を擁するキエフから、大半の女性や子どもが避難した。

 残っているのは、高齢者や首都を守る兵士だ。

 弁護士だった志願兵のマキシム・コステツキー(Maxym Kostetskyi)さん(29)は、春の陽気も相まって、外出禁止令は「休息」のように感じると語った。

「ロシア軍がキエフを包囲し続けるのかは分からない。ただ、私たちの自信は増していて、士気は高い」

 市内には、コンクリート製のブロックでつくられた検問所が点在している。ブロックにはスプレーで「ウクライナに栄光あれ」「止まれ!」という言葉や、ロシア軍は出ていけなどののしりも書かれている。

 北・西・東側の市境や路地、交差点には、土のうや対戦車障害物「チェコのハリネズミ」が無数に置かれている。

 かつて市民がキノコ狩りを楽しんだ北部の郊外の森には、兵士を埋葬する穴が掘られている。

 ドニエプル(Dnieper)川を見渡せる丘の上にある中心部では、一見すると戦争など起きていないかのようだ。しかし、通行できる橋は二つしか残されていない。

 西岸にある、1930年代に数百万人が犠牲となった大飢饉(ききん、Great Famine)の追悼碑のそばでは、60代の女性が外出禁止令を無視して犬の散歩をしていた。

 民主主義運動の舞台に2度なった独立広場(Independence Square)も土のうで埋め尽くされている。

 コステツキーさんは「選択肢がないとはいえ、私たちは楽観的だ」と話した。「私たちは国を守っているんだ。私たちの国をただ破壊したい(ロシアの)ウラジーミル・プーチン(大統領、Vladimir Putin)から」 (c)AFP/Herve BAR