【3月14日 AFP】南米ウルグアイの首都モンテビデオから車で約5時間の場所に、小さな村サンハビエル(San Javier)がある。住人はロシア移民の子孫だ。ロシアによるウクライナ侵攻の報に衝撃を受けながら、遠く離れた地の情勢を見守っている。

 サンハビエル村の住人は1800人。家々は一見、ウルグアイのほかの村と変わらない。ただよく見ると、100年以上前にロシアからやって来た農民が開拓した歴史が刻み込まれている。

 ロシア語を話せるか、もしくはロシア名を持つ住人はもはやわずかだ。それでも、スラブ民族の末裔(まつえい)であることを誇りに思っている。一方で、祖国によるウクライナ侵攻については強く反発している。

 村には「マクシム・ゴーリキー(Maximo Gorki)」文化センターがあり、中央広場には5体の巨大なマトリョーシカ像が置かれている。

 1913年、ロシア西部ボロネジ(Voronezh)から300組の家族がモンテビデオにたどり着いた。サンハビエル村の歴史はそこから始まった。ロシア帝国で迫害を受けていたキリスト教の宗派「新イスラエル(New Israel)」の信徒集団だった。

 数か月後には、約600人がウルグアイ川のほとりを定住の地に選んだ。今のサンハビエル村だ。当時、南米最大のロシア人入植地として、ヒマワリの栽培で成功を収めた。

 100年後の今、入植者が持ち込んだヒマワリは一帯に植えられ、村の象徴となっている。

 長い年月を経て、ウルグアイという国自体と同じように、民族も文化も混ざり合った。ただ、住人に占めるロシア系の割合は高い。

 村のレストランは、ウルグアイ料理の定番「アサード(肉のグリル)」も、旧ソ連圏で人気の串焼き料理「シャシリク」も提供する。広場では、クレオール系の民族舞踊とともに、ロシア舞踏のイベントも開かれる。

 サンハビエルには博物館がある。ロシア移民の歴史が展示されており、観光スポットとなっている。

 しかし、通りを歩いても、ロシア国旗やロシア愛を示すスローガンが書かれたバナーなどは一切、見当たらない。